キャベツ箱にはなにが

街をぼんやり歩いていたら、向こうから自転車に乗ったおじさんがやってくる。

タバコをひょいとくわえて、昔ながらの、という感じのいい自転車にまたがって、なんだか分からない懐メロをいい加減な感じで歌いながら。

そのおじさんの自転車の荷台には、段ボール箱が横長に載っている。

箱には大きな文字で「キャベツ」とだけ書いてある。

これを疑ういわれはないのだけれども、つい、「あの箱には本当はなにが入っておるのかな」という疑問が浮かぶ。

すれ違うところで箱の中が見えないかしらと横目でちらりと見た。

しっかり蓋が閉じられている。

走り去るおじさんはどうやら「洒落男」を歌っていたようだった。

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書評はこんなふうに

400ページほどある内容の詰まった本を、わずか1000文字で紹介する。

これはある種スポーツのようであるというか、腕力を問われることなのであります。なにをどう考えたって、本の内容を圧縮・取捨選択せざるを得ません。

短くまとめられるんなら、作家だって最初っから短く書くよねと述べたのは、太宰治だったでしょうか。書き手が必要と考えて書いた文を要約してしまうのですから、えらいことであります。

ではどこを捨ててどこを採ればよいか。その選択には、書評する者の着眼やものを見る目が隠れもなくあらわれてしまいます。そう、書評とは、対象である本を評するようでありながら、その実評する者こそが問われる、考えようによっては大変な作業であります。などと申せば、「なにをそんなオオゲサな」とお思いになるかもしれませんが、これホント。

評価者がなにを気にしているかこそがあらわになるもの、と言ってもよいでしょう。だから本当は、批評や評価をするのはおっかないことではなかろうかと、以前『文体の科学』という本に書いてみましたが、いまでもそう思っています。

 

さて、この作業をできるだけ実りのあるものにするため、また、できれば書評を読む人にとって意味あるものにしようと念じて、書評を書くとき、おおむね次のようにしています。

 

01. 書評する本を読む。(いろいろな場所で読んだりもする)

02. 読みながら余白にあれこれ思うことを書き込む。

03. 類書、原書(翻訳書の場合)を集め読む。(ただしこれは締め切りまでの時間次第)

04. 書評する本をもう一度読む。(時間の許す限り復読)

05. 余白への書き込みをメモに書き出す。

06. このメモを並べ替え、追記しながら構成を考える。

07. 構成を箇条書きにする。

08. この箇条書きにそって書評原稿を書く。(まずは文字数を気にせず)

09. 書き終えた原稿をプリントアウトして赤ペンを片手に読む。(時間の許す限り何度でも)

10. 規定文字数を超過している場合、全体を繰り返し読みつつ少しずつ文字を削り、表現を改める。

11. 1行の文字数が分かっている場合、そのレイアウトでさらに調整。

12. 時間の許す限り読み直す。

13. 完成(というより締め切りによってやむを得ず手を止める)

 

この過程は、ジャムを煮詰めるのと似ているようにも思います。つまり、書評する本(果物)に含まれる水分を飛ばしながら、そのエッセンス(果肉)を凝縮させるという感じです。

一番時間がかかるのは、推敲の段階です。一度書いた文章は、愛着がわいたりもするのですが、文章全体のなかで意味をもっていなければ、それこそ意味がありませぬ。そこで、時には「えい!」と、大胆に削る必要もでてきます。

特に難しいのは冒頭と結末です。私の場合、結末のほうがいっそう難しく感じます。展開してきた議論をどんなふうに終えるか。落語でいえばオチのつくところ。書評の場合、できたら読者自身がその本を読んでみようと思ってもらえるといいナというつもりで書いていることもあって、ことさら苦心します。

てな感じで書いております。

え? そのわりにたいしたことないなですって? ぎゃふん。

books.bunshun.jp

『脳がわかれば心がわかるか』刊行記念対談(青山ブックセンター)

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吉川浩満くんとの共著『心脳問題』(朝日出版社、2004)を刊行してから12年、同書の増補改訂版『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版、2016)ができました。

 

刊行を記念して、2016年06月17日(金)に青山ブックセンター青山本店で吉川くんと対談を行います。詳細は下記リンク先でご覧あれ。

よかったら遊びにいらしてね。

 

www.aoyamabc.jp

新連載始めます

東浩紀さん率いるゲンロンのメールマガジン「ゲンロンβ」のリニューアル第2号から、吉川浩満くんとの対談式書評「人文的、あまりに人文的」の連載を始めました。

月に一度の連載で、毎回人文書を2冊とりあげて論じます。

「ゲンロンβ」については、下記ページでご覧あれ。

 

genron-tomonokai.com

漫画読みがはかどるマシーン

iPad Pro 9.7インチを入手してしばらく使ってみた。

それで分かったことがひとつある。

これは漫画を読むのにちょうどよいマシーンだ(おい)。

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問題があるとすれば、Kindleなどの閲覧アプリケーションソフトが、大量の本を快適に扱えるようにつくられていないことだろうか。

もっともこれは現行のOSやブラウザなどにも言えることで、大量のデータはあるから、あとは検索で探せばいいっしょという設計になっている(ように感じられる)。

私としては、ユーザーの記憶に資するような表現をコンピュータのなかにつくりたい。ってんで、ノートに思いつきをスケッチしているところ。

そうそう、Apple PencilとSmart Keyboardもあわせて購入したのだけれど、まだ活躍する機会はない。iPadよ、このまま漫画専用装置になってしまうのか。(つづく)

 

ekrits.jp

近刊『脳がわかれば心がわかるか』

お知らせで恐縮です。もう少し先のことですが、6月のはじめに吉川浩満くんとの共著『脳がわかれば心がわかるか』(太田出版)が刊行される予定です。

これはいまから12年前、2004年のロックの日に出た『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社)の増補改訂版であります。

紀伊國屋書店のウェブでは予約受付が始まっております。

(下記サイトに掲載されている価格は、変更の可能性があるようです)

www.kinokuniya.co.jp

詳しくはまた、刊行が近づいてきましたらお知らせいたしますネ。

 

今年はこの他に――

・『「百学連環」を読む(仮)』(三省堂)

・『夏目漱石『文学論』論(仮)』(幻戯書房)

を刊行する予定で準備を進めています。

『百学連環』は初校を見終わったところ。『文学論』は最後のパートを書いております。いずれもここ何年か手がけてきた宿題で、ようやく終わりが見えて参りました。

 

というわけで、世にいうゴールデンウィークは、これらの作業に取り組むとともに、会う会う詐欺(「お目にかかりましょう」と言いながら実際には会わずに時ばかり過ぎる状態)の解消に努めております。「私のはまだ解消されていないよ!」というお心当たりのある方は、ご一報くださいませ。

Ex Libris

過日、twitterをぼーっと眺めていたら、どなたかのリツイートでこんな蔵書票が眼に入る。

「わあ、いいなあ」と一目惚れ。

さっそくQuelque villeというサイトを訪れてみると、依頼できる仕様が書かれている。

本当はその場で注文したかったのだけれど、どんなのがいいかなと想像するのが楽しくなって、しばし我慢することにして1週間ほど考える。

当初はイヌにしてもらおうと思っていたところ、最終的には丸めがねとTの字でお願いする。

つくっていただいたのがこちら。

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どんな丸めがねかは指定しなかったけれど、私がいまかけているのと同じデザインで、なんだかうれしい。

それに、逆さにすると、めがねをしたイヌに見えなくもない(←認知バイアス)。

たいそう気に入って、ひとり悦に入っております。

 

それにしても、いまさらながら紙にぺたぺたはんこを押すのって、わけもなく愉快ですね。同じだけどちょっとずつ表情の違う図柄が、手軽に何枚もこしらえられるなんて!

はじめて活版で印刷した人も、こんな気分だったのだろうかなどと空想したりしています。

 

quelqueville.thebase.in