『IDEA』第377号(誠文堂新光社、2017年04月)に翻訳を寄稿しました。
スコット・ジョセフ「場所のない言葉」の第2回「アルファベットの隙間」です。
特集は「グラフィックデザインの〈め〉新世代デザイナ――21人の姿勢」。
この秋に刊行予定の『組版造形』パイロット版も掲載されています。
文:白井敬尚 補注:郡淳一郎
組版書誌:内田明 編集:室賀清徳
デザイン:白井敬尚形成事務所(白井敬尚,加藤雄一,江川拓未)
これはとても楽しみ!
『IDEA』第377号(誠文堂新光社、2017年04月)に翻訳を寄稿しました。
スコット・ジョセフ「場所のない言葉」の第2回「アルファベットの隙間」です。
特集は「グラフィックデザインの〈め〉新世代デザイナ――21人の姿勢」。
この秋に刊行予定の『組版造形』パイロット版も掲載されています。
文:白井敬尚 補注:郡淳一郎
組版書誌:内田明 編集:室賀清徳
デザイン:白井敬尚形成事務所(白井敬尚,加藤雄一,江川拓未)
これはとても楽しみ!
先日、2017年03月03日にゲンロンカフェで行われた対談、渡部直己×大澤聡「批評という快楽――『日本批評大全』徹底解剖」を聴きに行った。
(以下はtwitterへの投稿をまとめたものです)
要点だけノートしようと思っていたら、14ページを使っていた(4時間近くもあれば、そらそうか!)。
渡部さんの話にあった、教師の立場で、学生に対して物事を単に易しくすることは、例えば「ドイツ語を習得できなかった」「あの本を読めなかった」という「なにかができなかった記憶」を奪うことになる、という指摘が印象に残った。
自分が何かを「できない」という感覚は、物事を習得したり学びたい人にとっては、たいそう重要だと思う。一方では、「できる」人への敬意(評価)にもつながるし、他方では「だからトレーニングしよう」という動機にもなる。もちろん単に挫折の記憶だけが残る場合もあろうけれど。
単純にいっても、「あれはなんだろう?」と捉え難い思いがあればこそ、物事を探究したくなりもする。ポイントは、分からないことを楽しめるかどうか。私もよく学生にものを教える立場になる場合は、分からないからこそおもしろがろうぜとお伝えします。
それから、お二人の間で繰り返し議論されたことの一つに、なんのために批評をするのかという問いがあった。批評は自分のためではなく、人のためにやるものだ、という話が昨晩の対談の基調を成していた。
仮に批評とは、取り上げる対象について、必ずしも見えやすくはない意味と価値を指し示すことだとすれば、それは対象を輝かせるための行いでもある。
そうした批評に触れた誰かが「あ、これは面白そう」「いま私に必要かもしれない」と感じて、その批評の対象に向かうとしたら、これをもって批評は人の役に立っているというわけだ。その批評に出会わなかった時とはちょっと違う方向へ、その人の人生を変えることにもなる。
渡部さんが、何度か「あいつが読んでるなら、オレは絶対読むものかと思った」とか、「あの人のおかげであの本を読むことができた」と述べていたのも印象に残る。私の場合、前者はないけれど、後者の恩恵でいままで多くのものに出会うことができた。
例えば、「オックスフォード英語辞典」(OED)に興味を持ち、後に使うようになったのは、学生の頃、大江健三郎と高山宏がOEDを使ったり面白がっている姿に本を通じて何度も触れたからだった。博物学は南方熊楠と荒俣宏から、数学は森毅から、というふうに。とこれは余談。
大澤聡さんの例によって、どれだけものを読み知っているのかという緻密な調査・検討・整理に基づく知識の提供と、会場を楽しませる当意即妙の話術で、渡部直己さんからたくさんのことを引き出しておられたのも驚倒したし、実に楽しかった。三木清第2弾も楽しみ。できれば戸坂も。
もちろん、対談のテーマだった『日本批評大全』(河出書房新社)の設計についての話や読み方にかんするヒントも多々あり、これも有益でした。病み上がりで大丈夫かなと思いつつ拝聴しましたが、たくさんの得たいの知れないエネルギーを分けていただきました。ありがとうございます。
追記:大澤聡さんと渡部直己さんの対談で何度か話題に出た本の一つに三島由紀夫の『文化防衛論』があります。この本は、2006年にちくま文庫に入っていますが、それについては実はちょっとお役に立ちました。
ある日、吉川浩満くんと共に筑摩書房のYさんと打ち合わせをしていた折りのこと。私が持ち歩いて読んでいた『文化防衛論』(新潮社、1969)の話をしたところ、Yさんが「それだ」というので、そのまま本を持ってゆき、文庫に入れたのでした。と、以上はただの思い出話でした。
おまけ:
今日のゲンロンカフェの予習は、こんな感じでいいかな。 pic.twitter.com/vYjoCAvKJv
— 山本貴光 (@yakumoizuru) 2017年3月3日
一言でいうと、こんな気分よ。 pic.twitter.com/Jgu5EcvJwJ
— 山本貴光 (@yakumoizuru) 2017年3月3日
2017年2月18日に開催されたWIREDのミニカンファレンスについて、レポートが掲載されました。記事の執筆は高橋未玲さん。
『WIRED』Vol. 27「サイエンスのゆくえ」に登場した長沼伸一郎さんと宮野公樹さんの対談、松島倫明さんと私の対談について、ポイントが紹介されています。
写真に写っているアンペールの本は、武田攝さんから賜ったもの。
当日話題にしたアンドレア・ウルフの『フンボルトの冒険』(鍛原多惠子訳、NHK出版)があまりに面白いので、後日、寄藤文平さんのラジオ番組にお招きいただいたおりも、ひとしきりフンボルトで盛り上がりました。
(WIRED「ああ、フロンティアなき科学よ──最新号「サイエンスのゆくえ」発売記念ミニカンファレンスで語られたこと」から)
WIRED VOL.27/科学のゆくえを問う大特集「Before and After Scienceサイエンスのゆくえ」
吉川浩満くん(id:clnmn)との新連載「人生がときめく知の技法」(webちくま)の第2回が掲載されました。
「悩みの総合カタログ、それが『人生談義』」と題して、少しずつ本題のほうへ。
そういえば、エルンスト・ヘッケルの『宇宙之謎』(栗原元吉訳、玄黄社、1917)の巻末に、当時出ていたエピクテートス先生の翻訳書の宣伝がありました。
ご覧ください。
最近読んだ文章。
★イアン・F・マクニーリー(講演)「ヴィルヘルム・フォン・フンボルトと言語の世界」(石田文子訳、『立命館言語文化研究』第23巻第2号、2011/10)[ pdf ]
★渡辺学「ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言語論における「古典古代」の意味」(『研究年報/学習院大学文学部』第56、2010/03)[ pdf ]
★小林邦夫「ロゴスとヴィルヘルム・フォン・フンボルトの言語哲学」(『藝文研究』第52巻、慶應義塾大学藝文学会、1988/01)[ pdf ]
★「福井久藏博士撰輯『國語學大系』(昭和十三、四年刊厚生閣) : 全廿四巻の企画・刊行に就きて」(『駒澤國文』第28号、1991/02)
この記事のおかげで『國語學大系』の内容が詳しく分かった(そして購入した)。
★今野真二「『日本国語大辞典』をよむ」第1回「はじめに」(三省堂ワードワイズ・ウェブ、2017/02)
★山下泰平「舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する」(「山下泰平の趣味の方法」、2017/02/12)
★上藤一郎「統計表の概念史」(『立教経済学研究』第69巻第2号、菊地進教授記念号、2015/10)
確認のためアクセスしてみたら、論文ファイルは閲覧できない状態になっているようだった。
★上藤一郎「高野岩三郎と日本の統計学(1)」(『静岡大学経済研究』第20巻第4号、2016/02)[ pdf ]
★平井正人「フランス革命期における学問分野の再編――タレーラン案からコンドルセ案への移行」(『哲学・科学史論叢』第17号、平成27)[ pdf ]
★立川明「イェイル・レポートからランド・グラント・カレジへ:ジョナサン・ボールドウィン・ターナーと知の共和国構想の誕生」(『国際基督教大学学報』I-A教育研究第48号、2006/03)
★原圭寛「19世紀アメリカにおける近代諸科学の受容に関する歴史研究」(『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要:社会学心理学教育学:人間と社会の探究』第82号、2016)[ pdf ]
★「「社会科学」は崩壊した。米国の新たな指針は救いとなるか?」(WIRED, 2017/02/20)
★Patrick R Unwin, Robert W Unwin, Humphry Davy and the Royal Institution of Great Britain (Notes and Records: The Royal Society Journal of the History of Science, Volume 63, issue 1, 20 March 2009)
★Matthias Mauch, Robert M. MacCallum, Mark Levy, Armand M. Leroi, The evolution of popular music: USA 1960-2010 (Royal Society Open Science, 2015)
★Review: In ‘Better Living Through Criticism,’ A.O. Scott Defends His Job (The New York Times, 2016/02/03)
★TLS Voices: Caryl Emerson on poetry and prose forged in the immediacy of the Russian Revolution
『現代思想』2017年03月臨時増刊号「総特集=知のトップランナー50人の美しいセオリー」(青土社)に寄稿しました。
「え、なんでトップランナーにお前さんが入ってるわけ?」「こないだはフロントランナーだったし、走ってばっかりだな」というご意見もあろうかと思いますがそこはそれ、ご存じかもしれません、この特集名には元ネタがあります。
ジョン・ブロックマン編『知のトップランナー149人の美しいセオリー』(長谷川眞理子訳、青土社、2014)です。
私は「理論の理論――世界を理解する方法」と題して、アインシュタインのあの図について一文を草しております。彼はもっぱら自然科学を念頭において、そこでは理論がどのように作られているかを図示しました。この考察自体はいうなれば人文的なものであり……という内容です。
特集全体の内容については、下記リンク先をご覧くださいませ。文・理、学・術の諸分野の書き手がいて、読み応えがあります。
現代思想 2017年3月臨時増刊号 総特集=知のトップランナー50人の美しいセオリー
⇒青土社 > 『現代思想』同号紹介ページ
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3013
同誌は二度目の登場です。前回は2015年12月号「特集=人工知能――ポスト・シンギュラリティ」に「人には遊び友だちが必要だ――ゲームと人工知能をめぐるスケッチ」というエッセイを書きました。
現代思想 2015年12月号 特集=人工知能 -ポスト・シンギュラリティ-