山田俊弘『ジオコスモスの変容――デカルトからライプニッツまでの地球論』

山田俊弘『ジオコスモスの変容――デカルトからライプニッツまでの地球論』(ヒロ・ヒライ編集、bibliotheca hermetica、勁草書房、2017/02)

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自然科学の知に触れるたび、思うことがあります。

もし、誰かがこの知を提示して、実験や観察で確認しておいてくれなかったら、さて私は自力でどこまでそうした知に迫れただろうか、迫れなかっただろうか、と。

例えば、太陽とはなにか。地球と太陽はどちらがどちらを回っているのか。なぜ汐は満ち引きするのか……。

いまなら小中学校で習いそうな知識も、ゼロから自力で辿り着こうと思ったら、とうていおぼつかない気がしてきます。ましてや量子力学や遺伝子生物学などは。

地球とはいったいぜんたいなんなのか。どのような過程を経て、いまあるようなものになったのか。

これもまた、そうした素朴でありながら、誰かに教えてもらわなかったら、とても自分では解明できそうもない問題です。

 

――と、こんなふうに思うと、俄然気になってきます。

いつ、誰が、どんなふうにして、いま私たちが知識として受け取っている地球像を提示したのか。そこに至るまでにあいだ、どんな試行錯誤や論争があったのか。つまり、地球像についての知の恩人は誰なのか。

こういうときは思想史(history of ideas)の出番です。

人が世界や人間をはじめ、さまざまなものを説明するために、どのような発想をして、どのような概念で捉えてきたのか。それはいかに変遷して今に至るのか。なにかについて人間がどのように考えてきたかの歴史を追跡して、見失われた知の轍を浮かび上がらせるのが思想史の仕事。

先ほど述べたような問いにとりつかれた人にとって、こんなに面白いものはありません。
(だから思想史の本を見つけたら手に入れて書棚に置いておきましょう)

ヒロ・ヒライさんが監修するbibliotheca hermetica叢書(勁草書房)は、そんな知の歴史、インテレクチュアル・ヒストリーの楽しさを教えてくれるシリーズで、既にファンも多いと思います。ヒロ・ヒライさんは1999年という早い時期からインターネット上で「Bibliotheca Hermetica」(BH)というウェブサイトも運営してきた、知る人ぞ知るルネッサンス思想史の専門家。私も当時からずっとサイトやご著書を拝読してたくさんのこと、なにより思想史、インテレクチュアル・ヒストリーの楽しさを教えられてきました。

同叢書でこれまで刊行されたのは次の3冊です。

・榎本恵美子『天才カルダーノの肖像――ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』
・菊池原洋平『パラケルススと魔術的ルネサンス』
・A・グラフトン『テクストの擁護者たち――近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』(福西亮輔訳)

このたびここに4冊目が加わりました。それが冒頭に書影を掲げたこの本です。

・山田俊弘『ジオコスモスの変容――デカルトからライプニッツまでの地球論』

山田俊弘さんには、本書で重要な役割を果たすニコラウス・ステノ『プロドロムス――個体論』(東海大学出版会、2004)の翻訳もあります。

本書は、主に17世紀のヨーロッパ、後に「科学革命」と呼ばれることになる知の大きな変動が生じた時代に、当時の知識人たちが地球をどのように見ていたか、論じ合ったかを追跡しています。

誰も正しい答えを知らない問いに向かって、人びとが仮説を出し合い、丁々発止の議論を交える様子は、対象が地球と、スケールが大きく、具体的なこともあって、門外漢の私たちでもおおいに楽しめること請け合いです。

もちろん本に唯一正しい読み方などはないけれど、おすすめの楽しみ方をお示ししたいと思います。

1. まず本書を買ってきます。

2. 読み始める前に紙と筆記具を用意します。

3. いま自分が持っている知識で地球の構造と歴史を描きます。分からないところは想像で。

4. その紙をなくさないようにしまいます(本の後ろのほうに挟んでおくとよいでしょう)。

5. さあ、本書を読みましょう。

 

ページを開くと、こんな目次が目に入ってきます。お楽しみあれ。

bibliotheca hermetica叢書の発刊によせて(ヒロ・ヒライ)

 

プロローグ――科学革命の時代の地球観
1. 地球をめぐる学問
2. 従来の研究と本書のアプローチ
3. ステノの生涯

第一章 ルネサンスのジオコスモス
1. ジオコスモスはどのように描かれたか
2. アグリコラの鉱山学と地球論
3. 自然誌、鉱物誌、そして博物館
4. コスモグラフィアとゲオグラフィア

第二章 デカルトと機械論的な地球像
1. デカルトの地球論
2. デカルトの地球論の背景と問題
3. ガッサンディの地球論
4. ステノにおけるデカルトとガッサンディ

第三章 キルヒャーの磁気と地下の世界
1. キルヒャーのイタリア体験――碩学が生まれるまで
2. 地球論としての『マグネス』
3. 『マグネス』から『地下世界』へ
4. ジオコスモスをめぐるキルヒャーとステノ

第四章 ウァレニウスの新しい地理学
1. ウァレニウスの生涯と著作
2. ウァレニウスの『一般地理学』
3. 新科学の影響とデカルト批判
4. ウァレニウスとステノ

第五章 フックの地球観と地震論
1. フックの地球論とその背景――鉱物コレクション
2. 『ミクログラフィア』と地球論
3. フックの地震論――一六六八年の論説を中心に
4. フックとステノ――自然誌と地球の年代学

第六章 ステノによる地球像とその背景
1. 『温泉について』
2. 『サメの頭部の解剖』
3. 『プロドロムス』
4. ジオコスモスの変容と新しい地球論の意味

第七章 スピノザとステノ――聖書の歴史と地球の歴史
1. 聖書解釈の問題
2. スピノザとステノの邂逅
3. 『プロドロムス』と『神学・政治論』
4. 聖書と地球についての歴史学

第八章 ライプニッツと地球の起源
1. ライプニッツの地下世界への関心
2. 『プロトガイア』と原始地球
3. ステノからライプニッツへ――両者の交流の背景
4. 歴史の総合を企てるライプニッツ

エピローグ

あとがき
初出一覧
図版一覧
文献一覧
人名索引

ヒロ・ヒライさんの活動に興味がわいてきた向きは、先にご紹介したウェブサイトの他、

★平井浩編『ミクロコスモス――初期近代精神史研究』第1集(月曜社、2010/02)

★ヒロ・ヒライ/小澤実編『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(中央公論新社、2014/03)

 などもご覧になるとよいでしょう。

『ミクロコスモス』は品切中ですが、月曜社のサイトには「重版準備中」と書かれています。同書には、山田俊弘さんの「ニコラウス・ステノ、その生涯の素描――新哲学、バロック宮廷、宗教的危機」という論考も載っています(今回ご紹介した『ジオコスモスの変容』に組み込まれています)。

さらにその奥へ、という向きはヒロ・ヒライさんの著作や論文Kindleで刊行されている作品を追跡するのも手です。

 

錬金術の歴史研究のためのサイト bibliotheca hermetica

勁草書房:Bibliotheca Hermetica

  

ジオコスモスの変容: デカルトからライプニッツまでの地球論 (bibliotheca hermetica叢書)

ジオコスモスの変容: デカルトからライプニッツまでの地球論 (bibliotheca hermetica叢書)

 

  

天才カルダーノの肖像: ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈 (bibliotheca hermetica 叢書)

天才カルダーノの肖像: ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈 (bibliotheca hermetica 叢書)

 

  

パラケルススと魔術的ルネサンス (bibliotheca hermetica 叢書)

パラケルススと魔術的ルネサンス (bibliotheca hermetica 叢書)

 

  

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 (bibliotheca hermetica 叢書)

 

  

ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット

ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット

 

  

ミクロコスモス 初期近代精神史研究 第1集

ミクロコスモス 初期近代精神史研究 第1集

 

 

『考える人』と私

新潮社の季刊誌『考える人』が次号で休刊となるとのこと。創刊されたのは2002年夏ですから、15年ほど続いたことになりましょうか。


雑誌の休刊にことよせて私事を語るのもなんですが、同誌に関わる一齣として、エピソードを少々書きとめておこうと思います。

 

1.『考える人』と私

私は変な雑誌(←褒めています)が出ると、まずは読んでみる質で、『考える人』も創刊号から買っていました。ちょっと大きめの判型で、写真が多めでありながら、文章も充実していて、どことなくくつろいだ、とらえどころのない雑誌だなと感じつつ、2号、3号と読み続けたものです。


また、ひょんなご縁から、2005年以来ですから、同誌を創刊した前編集長・松家仁之さんのころから、幾度となく書く機会を頂戴してきました。


『考える人』に寄稿する最初のきっかけをつくってくださったのは、当時まだ面識のなかった茂木健一郎さんでした。


2005年夏号「心と脳をおさらいする」という、いわゆる心脳問題を特集する号です。茂木さんが中心となって寄稿している他、ケンブリッジ、オックスフォードへ赴いてホラス・バーロー、ニコラス・ハンフリー、ロジャー・ペンローズという錚々たる面々と対談しています。


その対談について、用語に注釈が必要ではないか、という話になって、さて誰にというところで、茂木さんが吉川浩満くんと私の名前を挙げてくださったと聞いています。私たちは最初の本『心脳問題』(朝日出版社、2004)を刊行したところでした。担当してくださったのは、新潮社の疇津真砂子さんで、以後現在にいたるまでお世話になっています。


その後、2016年までの約10年ほどのあいだ、数えてみたら20冊の号に都合38回ほど登場しておりました。(実は無記名で寄稿した号がもう一つありますがここではカウントせず)


2.思い出の3冊

いまお話しした初登場号の他に特に思い出深い号を3つ挙げるなら、次の特集です。

★2009年夏号「日本の科学者100人100冊」
★2011年冬号「紀行文学を読もう」
★2013年夏号「数学は美しいか」


「日本の科学者100人100冊」は、企画段階から参加して、編集部のみなさんと議論をするという、私にとっては未知の経験をした号でした。(と書いてみて思い出しましたが、『InterCommunication』誌(1992-2008)でも終刊近くに経験しておりました。)


それはさておき、とりあげる100人の選定や、執筆者候補を決めてゆく過程で、それまで未読だったものも含めて、日本の科学者たちの本や論文を山ほど読むよい機会でもありました。


100人の科学者について、それぞれ紹介する文章をいろいろな人に書いてもらったのですが、書き手が決まらない人物については私が書くということで、都合34人分を担当したようです。


2011年冬号「紀行文学を読もう」は、ブックガイド、翻訳、連載第1回という互いに異なる文章を同時に寄稿するという、いま考えてもよくやったなあと思うような号でした。


このとき連載を始めた「文体百般」は、後に『文体の科学』として単行本になるものです。いつかも書いたかもしれませんが、もともと「文体百般」という企画は、『考える人』でどんな特集をしたら楽しいかというアイディアを出したうちの一つでした。つまり、自分で書くつもりではなく、いろんな人にそういうことを書いてもらったのを並べたら、さぞかし面白いものになるだろうな、と空想したのです。それを巡り巡って自分で書くことになったのは、ひとえに疇津さんのご示唆によります。


もう1冊の2013年夏号「数学は美しいか」も、「日本の科学者100人100冊」と同じように、企画段階からお手伝いをした忘れがたい号です。


数学を大きく見晴らすマップを描いて、ブックガイドを書き、伊東俊太郎さん、円城塔さん、三宅陽一郎さんにインタヴューをして、テレンス・タオの論文を翻訳しました。


3.雑誌は書き手を鍛える

思い返してみると、疇津さんや編集部からは、いわゆる「ムチャぶり」をしていただき、結果的に十分応えられたかどうかは別として、私自身はこんな機会でもなければ考えなかったかもしれないようなことをあれこれ考え、鍛えられました。


そうそう、本を別とすれば、『ユリイカ』『InterCommunication』『考える人』と、もっぱらこの三つの雑誌によって文筆家としての私は稽古をつけてもらったのだと思っています。


毎回、思ってもみなかった方向から飛んでくるボール(お題)をそのつど打ち返すという訓練は、とりわけ怠惰な私のような者にとっては得がたい機会でした。


その『考える人』も、少し前にリニューアルを果たして、さてこれから第三期か(勝手に初代松家編集長を第一期、河野編集長のリニューアル前を第二期として)というところで、惜しくも休刊。


読み手としても「雑」なるものの楽しさを伝えてくれる雑誌がまた一つ消えるのは残念な限りです。いまはただ感謝の念を込めて御礼申し上げたいと存じます。松家元編集長、河野編集長、編集部のみなさま、長いあいだ、ありがとうございました。おつかれさまでした。

 

4.『考える人』の私

最後に、書いている当人以外にまるで意味のないことではありますが(え、それを言うなら、ここまで書いたこともですって?)、『考える人』に寄稿した文章についてまとめてみます。


ほんとにいろいろなことを書いたなあ。


★2005年夏号「心と脳をおさらいする」
01. 「「心と脳」を知るためのジャンル別ブックガイド」(吉川浩満との共著、ブックガイド)
02. 「「心と脳」をおさらいするための21のキーワード」(吉川浩満との共著)

★2008年夏号「自伝・評伝・日記を読もう」
03. 「知りたがるにもほどがある? 科学者という人たち」(ブックガイド)

★2009年夏号「日本の科学者100人100冊」〔企画協力〕
04. 「日本の科学がたどってきた300年」(特集イントロダクション)
05. 100人100冊中34人分
06. 「福澤諭吉と科学」(コラム)
07. 池内了+中村桂子対談に同席

★2010年春号「はじめて読む聖書」
08. 「聖書を読むための本」(ブックガイド)

★2010年秋号「福岡伸一と歩くドリトル先生のイギリス」
09. 「未知を求め、世界に驚く」(ブックガイド)

★2011年冬号「紀行文学を読もう」
10. 「紀行ブックガイド5000年」(ブックガイド)
11. リシャルト・カプシチンスキ「ヘロドトスと気づきの技法」(翻訳)
12. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第1回「文体とは「配置」である」

★2011年春号「考える仏教」
13. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第2回「短い文――時間と空間に縛られて」

★2011年夏号「梅棹忠夫」
14. 「世界をデッサンする――梅棹忠夫ブックガイド」(ブックガイド)
15. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第3回「短い文――記憶という内なる制限」

★2011年秋号「考える料理」
16. 「アンケート 私の好きな料理の本 ベスト3」
17. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第4回「法律――天網恢々疎にして漏らさず」

★2012年冬号「ひとは山に向かう」
18. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第5回「対話――反対があるからこそ探究は進む」

★2012年春号「東北」
19. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第6回「科学――知を交通させるために」

★2012年夏号「笑いの達人」
20. 「考えるな、感じろ――映画と笑い」(エッセイ)
21. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第7回「科学――世界を記述するために」

★2012年秋号「歩く」
22. 「歩行の謎を味わうために」(ブックガイド)
23. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第8回「批評――知を結び合わせて意味を生む」

★2013年冬号「眠りと夢の謎」
24. 「思いのままに、わが夢を」(書評)
25. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第9回「辞書――ことばによる世界の模型」

★2013年春号「小林秀雄 最後の日々」
26. 「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」第10回「小説――意識に映じる森羅万象」

★2013年夏号「数学は美しいか」〔編集協力〕
27.「数学の愉悦を味わうために」(イントロダクション)
28. 「発見と難問の森に遊ぶ――入門から専門級まで(ブックガイド)」
29. 円城塔「天才数学者は、変人とはかぎらない」(インタヴュー)
30. 伊東俊太郎「人は数学に何を求めてきたか」(インタヴュー)
31. 三宅陽一郎「人工知能は数学を理解できるのか」(インタヴュー)
32. テレンス・タオ「素数の研究――その構造とランダム性について」(翻訳)

★2015年春号「数学の言葉」
33. 「響き合う数学の言葉たち」(イントロダクション)
34. 「数学の言葉、数学も言葉」(ブックガイド)
35. 山本貴光+吉川浩満「本の使いかた いかに探し、読み、書くか?」(対談)

★2016年春号「12人の、『考える人』たち」
36. 山本貴光+吉川浩満「生き延びるための人文」第1回「知のサヴァイヴァル・キットを更新せよ!」(対談)

★2016年夏号「谷川俊太郎」
37. 山本貴光+吉川浩満「生き延びるための人文」第2回「人文の「理想」と「現実」」(対談)

★2016年秋号「いいぞ、応援!」
38. 山本貴光+吉川浩満「生き延びるための人文」第3回「モードチェンジは「驚き」から始まる」(対談)


なお、吉川浩満くんとの連載対談は、本にまとめるための作業中です。

 

www.shinchosha.co.jp 

考える人 2017年 05 月号 [雑誌]

考える人 2017年 05 月号 [雑誌]

 

 

文体の科学

文体の科学

 

 

フェリックス・ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』(詳細目次あり)

フェリックス・ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』(杉山直樹+村松正隆訳、知泉書館、2017/01)

フランスの哲学者ラヴェッソン(Félix Ravaisson-Mollien, 1813-1900) La philosophie en France au XIXe siècle (Imprimerie Impériale, 1868) の翻訳。

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「解説」に書かれている本書の成立事情が面白い。

1867年開催のパリ万国博覧会に際して、公教育省はフランスにおける諸学問の現状報告の作成を求めた。『フランスにおける文芸と科学の進歩についての報告集(Recueil de rapports sur les progrès des lettres et des sciences en France)』がそれであり、「哲学」の報告書作成は、ラヴェッソンに任せられた。かくして1868年に刊行されたのが本書だ、というわけである。 

 (同書、p. 347)

ついでながら思い出す本がある。エリック・アリエズ『ブックマップ 現代フランス哲学――フーコー、ドゥルーズ、デリダを継ぐ活成層』(毬藻充訳、松籟社、1999)だ。

同書は「外務省文化・科学・技術関係総局の求めに応じて書かれた『報告書』」として『現代フランス哲学』(1994)というタイトルで公表された本をもとにした本である。原著はDe l'impossibilité de la phénoménologie. Sur la philosophie française contemporaine (Vrin, 1995)で、『現象学の不可能性について――現代フランス哲学をめぐって』という書物。

こういうリクエストによって学術に関する報告書をつくるというやり方は、フランスやそれ以外の国々ではどのようにしているのだろうか、ということが気になる。

話をラヴェッソンの本に戻そう。

書名にある通り、19世紀のフランス哲学の状況を、ラヴェッソンの観点からマッピングした本で、私などは不勉強のために、これまで知らなかった名前も多々あり、また、読んだことのない本がたくさん登場する。

そこで、読解を助ける訳注や索引を兼ねた簡易人名辞典まで付けられたこの邦訳書が出た機会に、冒頭からラヴェッソンを読み、そこに登場する哲学者の文献を探して読むということをしている。現在は、19世紀あたりの文献も多くがデジタル化しているので、読めるものも多くて誠にありがたい。

もう一つ注目したいのは、以下に示すように「哲学」の守備範囲である。百学とまではいかないまでも、多様なテーマが含まれている様子も伺える。

というわけで、私があれこれ言うよりも、例によって目次を詳しくお示ししよう。

余談になるが、私はしばしば本の目次をこんなふうに書き写すことがある。書き写すということは、1文字も省略せずに読むということで、目次をじっくり読む方法でもあるのだった。また、ウェブに掲げておくと、存外それで助かる人がいないでもない。というよりも、私もこれまでいろいろな人が本や雑誌の詳しい目次をウェブに掲げておいてくれたおかげで多くのことを教えられてきた。というので、こんなふうに目次を入力する次第。

あ、ただし同書では「,」が使われているが、以下では「、」で記している。

凡例

 

I 哲学の起源からエクレティスムまで

ピュタゴラス派とプラトン派/アリストテレス。実体の形而上学/ストア派/キリスト教/中世スコラ哲学/デカルトの革新。二元論的実在論/無限と絶対。パスカルとライプニッツ/カント/逸脱。バークリーの実体批判とヒュームの懐疑論、コンディヤックの感覚論/精神の能動性の再発見。メーヌ・ド・ビランの「意志」とアンペールの「理性」/王政復古期。ロワイエ=コラールからクーザンのエクレクティスムへ

 

II クーザンとエクレクティスム学派

哲学史研究の諸成果/「半端なスピリチュアリスム」/心理学的方法の限界。知覚と概念、実在と理想との分断/エクレクティスム内部での新しい諸傾向。ビランの再評価。ジュフロワやラヴェッソンたち。ボルダス=ドゥムーランのデカルト論/エクレクティスムの没落

 

III ラムネー

『哲学素描』の体系/無限の存在としての神。内在的三元性/創造論と自然の形而上学。認識論、人間の諸活動の理論への応用。形式的な三元性の貫徹/批判――原理の不在。「伝統主義」的観点の哲学的欠陥

 

IV 社会主義(1)

此岸の復権と進歩の理念/サン=シモン、フーリエ、プルードン/真摯な哲学の不在

 

V 社会主義(2)

ピエール・ルルー。完成可能性と生の継続/ジャン・レノー『地と天』/超自然的なものの取り逃し

 

VI 骨相学

ガルとブルセ/その没落

 

VII 実証主義(1)――前期コント哲学

起源。ブルセとサン=シモン/『実証哲学講義』の思想。形而上学的な「絶対」「原因」の放棄/「三段階の法則」とその真の起源/単純な一般的要素への還元の要求。数学の偏重/唯物論への接近という帰結。実例としてのリトレ

 

VIII 実証主義(2)――イギリスでの展開

イギリス哲学の傾向/実証主義的心理学。観念連合/実証主義的論理学。ミル/理由と演繹の放棄。感覚と帰納/懐疑論という帰結

 

IX 実証主義(3)――後期コント哲学

コント自身の別の歩み/スペンサー、ソフィー・ジェルマン/体系と秩序を求め続けるコント/その含意。理由と理性の再肯定、ライプニッツ的観点への還帰/コント哲学の転換点。生命現象/全体的統一の観点。「上位のもの」が「下位のもの」を説明する/数学から精神科学への支配権の移行。物理的実証主義から精神的実証主義へ/コント哲学の到達点。心情と愛の重視。『実証政治体系』と「人類教」

 

X リトレ

無神論者かつ唯物論者/別の展開の徴候。目的論の容認

 

XI テーヌ

『十九世紀フランツの哲学者たち』。エクレクティスム批判/「イギリス実証主義」研究/ミルとテーヌの差異、「普遍的科学」の構想/スピリチュアリスムへの合流の可能性

 

XII ルナン

反形而上学的な実証主義との親近性/最近の小論の検討。進化論理解のうちに垣間見られる別種の要素/形而上学への復帰の可能性

 

XIII ルヌーヴィエの「批判主義」

反形而上学的な現象主義/感覚論との相違点。表象の条件としてのカテゴリー/原因、目的、人格性/範型としての自由/自由の命運と不死性/神の問題。絶対者へのひそかな志向

 

XIV ヴァシュロ

『形而上学と科学』/レエルとイデアルの相互排除性という原理/エクレクティスムとの根本的な合致/現象を超えるもの。無限性と、完全な秩序への進歩。形而上学と神学の対象/批判的考察。イデアの存在とは何か/レミュザの見解/ヴァシュロの見解/『心理学論考』。スピリチュアリスムの兆し

 

XV クロード・ベルナール

『実験医学序説』/ベルナールの実証主義/帰納とは実は演繹である。理性の権限/普遍的決定論の原理。生気論批判/「有機的観念」。上位の決定論/精神の哲学の萌芽

 

XVI グラトリ

グラトリのヘーゲル批判/批判の妥当性について/グラトリの方法論。有限から無限への飛躍としての「帰納」、微積分学/「帰納」概念の批判的検討/数学的無限と形而上学的無限/超越と飛躍の誤謬。グラトリにおける別種の観点。「神の感受」と自己犠牲

 

XVII 宗教哲学

ガロ、ジュール・シモン、セセ。神の存在証明の限界についての自覚/神の人格性という問題/カロ。自然の秩序と精神の秩序の一致の源泉としての神

 

XVIII 存在論主義

その系譜と主張者たち/「存在」概念の問題

 

XIX ストラダ

『究極的オルガノンの試み』/現代の問題的状況。「存在」の取り逃し。感覚と知性との対立/ヘーゲル批判。否定に対する肯定的存在の先行性/精神の第一義的対象は存在である/方法と基準の問題。既存の諸基準の欠陥/神的なものの顕現としての「事実」/存在と精神の結合

 

XX マジ

『科学と自然』/ボルダス・ドゥムーランとの対比/大きさと完全性、延長と力/形而上学的原理としての力/その他の形而上学者たち

 

XXI 物理学の形而上学

レミュザとマルタン

 

XXII 心理学

観念連合の問題/メルヴォワイエ『観念連合についての研究』/ヒューム以降の流れ/知性の発生というテーマと感覚論的傾向。ヘルバルト、スペンサー/グラタキャプ『記憶の理論』/能動的習慣としての記憶/含意の展開。知性の真の起源としての精神

 

XXIII アニミスム論争

オルガニシスム、ヴィタリスム、アニミスム。系譜と最近の論争の経緯ならびに背景/ブイエのアニミスム/批判的検討

 

XXIV 唯物論

ビュヒナー『物質と力』/唯物論とオルガニシスムへのジャネの批判/唯物論の誤謬。「下位のもの」は「上位のもの」を説明しない

 

XXV ヴュルピアン

『生理学講義』。オルガニシスムの支持/論争の膠着状態に対するラヴェッソンの所見

 

XXVI 脳生理学、神経学

骨相学失効後の状況/脳について。思惟の道具としての脳/脳髄の構成部分と「反射運動」の問題/諸部分の相互補完性と連続性。思惟と機械的運動との連続性というアニミスム的結論/この連続性は思惟を機械論に還元するものではない/神経系について。「迷走神経」の中間的性格/「生命」のビシャ的二分法の欠陥/グラトリの考察

 

XXVII 本能

博物学、生理学からの寄与/知性ないし理性の本質上の特殊性と、事実上の本能との共存/習慣とその遺伝からの本能の説明

 

XXVIII 睡眠と夢

古典的理論。ビラン、ジュフロワ/最近の研究。レリュ、ルモワヌ、モーリー/睡眠の哲学的意味

 

XXIX 精神異常

法的責任の問題/問題を前にしての唯物論者の無力/ルモワヌの対論/狂気における理性という問題/精神医学者たちの見解。理性の不壊

 

XXX 狂気

狂気と天才の関係

 

XXXI 表情と言語

表情の生理学的説明/感情表出の自然性/言語起源論上の含意。精神の自然な発露としての言語/精神の創造力

 

XXXII クルノー

秩序と理由についての蓋然論/哲学と科学/科学者たちへの評価/ラヴェッソンからの別評価/蓋然性をも包摂する根本的な秩序と理由

 

XXXIII デュアメル

推論と論理学/発見の方法としての「分析」/完全な証明の条件/同一律の根源的意味/「総合」の価値/近年の哲学における方法観の変化

 

XXXIV 道徳論

ジュール・シモン。宗教からの道徳原理の独立性/「独立」道徳派/自由の問題。ルキエ、ドルフェス/不死性の問題。ランベール/普遍的功利性の道徳。ヴィアール/心情と愛の重視。シャロー/善、愛、知恵

 

XXXV 美学

美と善の関係。シェニェの見解/美の定義。シャルル・レヴェック/ラヴェッソンの見解。美の原理としての愛。美学上の諸カテゴリーの解明

 

XXXVI 結論――精神の肯定、スピリチュアリスム的実在論の到来

今世紀冒頭の哲学の変化/エクレクティスムの不十分さ/実証主義、あるいは新たな唯物論。観念論への隠された志向/唯物論に至る分析、観念論に至る総合/ラヴェッソン的総合判断。「原因」とその意志的性格、イデアルな完全性/「イデア」の一般観念化という陥穽。多くの観念論と唯物論の相似/「絶対的な内的能動性の意識」という観点。総合の真の原理としての自己反省、ならびに絶対者の直接的意識/ラヴェッソンのパースペクティヴ。完全なる絶対的人格神、人間的魂、有機体、無機物、物理的現象/道徳的必然性の支配/自然諸科学と形而上学の関係/哲学をめぐる近年の状況の変化。「スピリチュアリスム的な実在論・実証主義」の到来/能動的作用としての「精神」の実体性。標識:「思惟の思惟」・「自己原因」「存在と本質の一致」/諸存在の創造の起源の問題。神話と古代哲学、キリスト教からの示唆――絶対者の自由な犠牲と贈与、愛/現代のスピリチュアリスム的運動とフランス

 

解説

あとがき

人名索引

というわけで、世界学術マップをこしらえ中の私にとっては、幾重にもありがたい訳業であります。

なお、 紀伊國屋書店新宿本店の人文書コーナーでは、じんぶんや特別企画として「19世紀フランス哲学、再発見のために――ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』刊行記念」のブックフェアが開催中です。

 

Google books: Félix Ravaisson-Mollien, La philosophie en France au XIXe siècle (Imprimerie Impériale, 1868)

知泉書館:ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』

 

 

十九世紀フランス哲学

十九世紀フランス哲学

 

  

習慣論 (岩波文庫 青 687-1)

習慣論 (岩波文庫 青 687-1)

 

 

『[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集』

『[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集』(柏倉康夫訳、青土社、Kindle版、2017/03)

『ステファヌ・マラルメ詩集』(エドモン・デマン書店、1899)の全49篇の翻訳。『ユリイカ』(青土社)2015年1月号から9月号に連載した訳文に若干の修正を加えているとのことです。

この電子テキストには、日本語訳だけでなく、フランス語原文も収録されています。原文は、プレイアード叢書の『マラルメ全集I』(ベルトラン・マルシャル校注、ガリマール、1998)。

49篇の詩に使われたすべての単語について検索できるインデックスつき。

Kindleで詩集を読んだことがなかったので、ものは試しと入手してみました。画面の例をお示しすると、こんなふう。iPad ProのKindleで表示した画面です。

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画面上部の「翻訳」を選ぶと、訳文が表示されます。

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つい対訳のようにページを並べて読みたくなるけれど、そういうことはできるのかな。

そういえば、いつぞやマラルメの「骰子一擲」をコンピュータで制作するなら、どんなインターフェイス設計になるだろうと考えたことがありました。あの詩が提示される空間のなかを旅していくような、あるいはそこここの言葉同士が呼応・照応しあう様子を感得できるような、そんな画面と操作をつくってみたいなと空想したんでした。

www.youtube.com

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[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集

[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集

 

 

ヤーコプ・ヴァッカーナーゲル『統語論についての講義Ⅰ』

酒見紀成氏のページに、スイスの言語学者ヤーコプ・ヴァッカーナーゲル(1853-1938)による『統語論についての講義Ⅰ』の訳文が公開されています。

原著、Jacob Wackernagel, Vorlesungen über Syntax mit besonderer Berücksichtigung von Griechisch, Loteinisch und Deutsch-Erste Reihe (Birkhäuser Verlag, Basel, 1950)の初版は1920年刊行で、翻訳の原文は1950年の第2版とのこと。

全XLIX章(49)のうち第XXXIII章(33)まで訳されています。

 

同書は、比較的最近、英訳も出ているようですね。

Jacob Wackernagel, Lectures on Syntax: with special reference to Greek, Latin, and Germanic (edited and translated by David Langslow, New York: Oxford University Press, 2009, [original edition: 1920-1924]).

 

★広島工業大学の酒見紀成氏のページ
 http://www.ec.it-hiroshima.ac.jp/sakemi/

 

★Wikipediaドイツ語版のヴァッカーナーゲルのページ
https://de.wikipedia.org/wiki/Jacob_Wackernagel
英語版と比べて著作の項目が詳しいようです。

 

★Wikipedia英語版のヴァッカーナーゲルのページ
 https://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Wackernagel