泣きもせず笑いもせず――歴史とノスタルジア


四方田犬彦「歴史とノスタルジア――『ハイスクール 1968』連載を終えて」(聴き手=河村信、『情況』第3期第5巻第1号、情況出版、2003/12)

四方田 私だけではないと思いますが、基本的に、他人の昔話って言うのは興味がないのじゃないかな。『他人の夢の記述ほどに聞かされていて退屈なものはない』とバシュラールが『夢想の詩学』で言っています。それと同じように他人の回想録というものはどこまでも他人の身体に限定されているわけで、自分は自分の身体を生きていますから、自分の物語に対してはナルシスティックな同一化があるけれど、他人のものに対しては興味がないと思うんです。回顧的な本というのは、ある種の共同的な世代へと自分を拡げていく事で物事が成り立っている。私はそうではなく、どこまでも個人的でありたいと思っています。『1968』と『ハイスクール・ブッキッシュライフ』という二冊の本を書くにあたって、私が考えていたのは、ノスタルジアというものを禁じようという事でした。ノスタルジアではなく歴史だと。


――歴史はノスタルジアではないというわけですね。


四方田 ええ、その二つは全く別のものです。歴史はノスタルジアに対立していると思います。単に昔を思い出して、懐かしむとか、全ては失われてしまったという感傷に向かうのがノスタルジアであるとすれば、過ぎ去った昔を構造として読み取ることが歴史だと思います」