バークリ『人知原理論』


★ジョージ・バークリ『人知原理論』(大槻晴彦訳、岩波文庫岩波書店、1958)

「私にはどうも思われるのだが、これまで哲学者たちを娯しませかつ知識への途を塞いできた困難は、たとえ全部でなくとも、その大部分が全く私たち自身に起因するのである。私たちはまず埃りを立てておいて、それから、見えないと不平を言うのである」

「もしこの点が〔獣という〕あの種類の動物を〔人間から〕区別する特性をなすものであるとすれば、私は恐れるが、人間として通用する動物の大部分もまた、この〔獣類の〕数に数えられなければならないのである」

「例えば学院アリストテレスはそう言ったと私に語るとき、その意味するところと私に想われるすべては、この〔アリストテレスという〕名前に習慣的に添えられてきている畏敬と従服との情をもって学院の人自身の説を奉ずる性向に私をさせようとすること、これだけである」

「あらゆる時代の、またすべての国々の、探求者たちが骨折りを結集して今までに獲得してきた知識の全集積は、言葉によってただ一人の人物の視るところ・所持するところとなることができ、この点で言葉の効用は卓越する。これは否定できない。が、同時に容認しなければならないが、知識の大部分は言葉の濫用によって、すなわち知識を陳述する一般的な話し方によって、奇妙な紛糾と昏迷とに陥れ入れられてしまったのである。このように、言葉はともすれば知性を甚だ瞞着しがちである。それゆえ私は、いかなる観念を考察するにせよ、自分の思惟から名前を、すなわち永く絶えざる使用によってこの観念と極めて密に接合してしまった名前を、できるだけ取り除いて、観念を剥き出しで裸のまま視るように力めよう」