福本和夫『福本和夫自伝I 革命は楽しからずや――回顧録・霧笛篇』(こぶし書房、2003/12)
★監獄における帳面利用の手引き

「一、雑記帳は当所〔監獄――引用者註〕指定のものを用い、書籍教誨其他の見聞事項にして、更生の資となすに足るものを記録するものとす。
 二、記録したる時は、必ず欄外に、月日、書名、頁数または講演者名等を記録すべし。
 三、許可なくして、感想、批判、創作、または絵画、記号、外国語(書名、地名、人名の原語等は可なり)等を記録することをえず。
 四、書損じ、汚損等の場合と雖も、頁数を変更せざること。
 五、雑記帳は随時検閲をおこない、右各項に反したるものは、これを没収し、爾後使用を停止す」


★訳語談義

「客――揚棄という語は、むかし、あなたの造られた訳語だとききますが、こんどまた、何かそういった方面の新造語なんか、お考えになりませんでしたか。
私――止揚という観念論者のふるい訳語に、いよいよ最後のとどめをさすべく、批判、反駁の寸鉄言をいろいろつくりましたよ。それから、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼに対する旧来の定立、反定立、綜合という訳語に代えるに、定是、反置定是(または、略して、反定是)、参定是の新訳語を、もってすべきことを、考えついたのですがね。
客――なるほど。定是、反置定是は、よくわかりますが、参定是の参というのは、どういう意味ですか。
私――シンテーゼは、フランス語では、サンテーズで、シンともサンともいう、ひっきょう、同じ語です。漢字の参の字もまた、場合により、シンとも発音しましょう。」


★モットー

「第六のモットーは、事物をその生成の過程に即して考察してゆくことである。卑俗な経験主義が、ほんとの学問になりえないこと、俗学ないし曲学いがいのものではありえないことは、多く説くまでもなく、あきらかなところとおもうが、いわゆる公式主義にいたっては、先賢の言葉の引用によっていかめしく武装しているため、その本質が、虎の威を借りている狐であり、或は、羊頭をかかげて狗肉を売っているものであることをみやぶるのは、必ずしも容易ではないばあいがすくなくない。
それゆえ、ほんとに学問の研究をすすめてゆくには、つねに、経験主義と公式主義との双方にたいして、たたかってゆくことが必要である。いいかえれば、ほんとの学問なるものは、方法論を否定したり、或は、自分の信条は、日和見主義だと公言してはばからぬような、経験主義と文義的解釈や言葉のツギハギ的な引用をこととしている公式主義とに対するたたかいを通じて、きずかれるのである。公式主義者は、先人の業績を、出来上がったものとして、完成したものとして、そのままに頂戴するのであるが、それでは駄目で、学問的研究は、そこで死んでしまう。公式主義者なるものは、いわば、先人のデスマスクをつけて、学者ぶっている道化師にすぎない。われわれは、そのままに、頂戴するのでなく、その生成過程に即して、検討してみることからはじめなければならない。


★「福本イズム」という語

「二七年テーゼには、福本イズムということばはどこにもつかわれていない。わたしの名前は、わたしが党内での変名として用いていた黒木の名で、同志黒木によって代表される指導部の見解はとか、方策はとか、いうことばで、されている福本イズムということばは、わたしから出たものでも、党から出たものでも、二七年テーゼからおこったものでもない。福本イズムの名づけ親は、じつに北浦千太郎君であった。北浦君が党から除名されて、党を非難するために、雑誌『改造』に論文を書いたその論文の題名に福本イズムということばをうちだしたのが、このことばのおこりである」


志賀直哉『和解』

「事実を書く場合自分はよく散漫に色々な出来事を並べたくなる悪い誘惑があった。色々な事が思い出される。あれもこれもと云う風にそれが書きたくなる。実際それらは何れも多少の因果関係を持っていた。然しそれを片端から書いて行くことは出来なかった。書けば必ずそれらの合わせ目に不充分な所が出来て不愉快になる。自分は書きたくなる出来事を巧みに捨てて行く努力をしなければならなかった」

「翌日自分は父への手紙を書いて見た。自分は母に云われる迄もなく、理窟をそれに書く気はしなかった。理窟でいいならそれは易しい事だった。然し理窟で自分の要求が如何に正当であるかを書き現わせた所で、それが実際で何の役にも立たない事はよく解っていた。若しそれが抜目なく、それでも自分の出入を禁ずると父に云いにくいように書ければ書ける程、理窟の上に立っている場合、結果は益々悪くなるに決まっていた。だからそう云う手紙を書く気は少しも自分にはなかった」