何度でも rejoyce


柳瀬訳『フィネガンズ・ウェイク』は、何度読んでも数行ごとに笑いがもれてしまう。これはなにかに似ている、と思ったら、ひとつは渡辺一夫の超絶訳フランソワ・ラブレーでパニュルジュがえんえんと高尚なことがらと卑猥なことがらをごたまぜに駄洒落のめしながら説教をぶつあの名調子で、もうひとつはここにも書いたジム・ノートンによる朗読のとんだりはねたりする声だ。ルビと漢字の字面とその読み(音)を縦横に駆使しながら、ときに原語を響かせながら噺家が言葉をあやつるように言葉は流れてゆく。言葉と書いているものの、この訳業を「読む」営みは、「読む」というよりも「眺める」、「眺める」というよりも「観る」という動詞のほうがふさわしいようにも思う。それは先に述べたようにルビ×字面×読みの三位が、ただふつうに文章を読み流すようには目を運ばせず、ちょうどヴィデオゲームで画面中に表示されるデータを一挙に見てとるような按配に、私の視覚を誘うからだ。