一日コンピュータにも触れず、ネットワークにも接続せず。なにやら清々しいのは気のせいばかりではあるまい。



宮城道雄(1894−1956)の作品集『宮城道雄作品大全集』(全13ディスク、ビクター伝統文化振興財団、1993、VZCG-8042〜54、amazon.co.jp)をかたわらにおき、吉川英史による『此の人なり宮城道雄――宮城道雄傳』(新潮社、1959; 邦楽社、1979)を読みながら、文中にあらわれる楽曲を聴く。


この「大全集」は、100曲を越える宮城作品が集成されており、彼の楽歴を追うのにうってつけのディスク。なかには宮城本人がふきこんだ楽曲も多数収録されていて歴史的録音という点でも興味深い。


ほォ、内田百輭が宮城に教わったと書いてある「唐砧」とはこの曲ですか(しかし宮城をして「玄人がはだしで」と言わしめた百輭先生の手は、録音に残ってないものか)。なるほど、自分で件の曲を聴いてもいない大先生らが「箏であひるの声を真似るなどケシカラン!」と述べた「あひる」はこれですか、云々。


当時、古典的な邦楽に対してよくもあしくも「新しい」と評された宮城の音楽が、ときに「ピアノを模倣しただけぢゃないか」といった非難をうけたというその機微が門外漢にはよくわからない。ただその門外漢なりに楽曲に耳を傾けながら思うのは、この宮城というひとは古いか新しいかということよりも、箏なら箏という楽器にできること、可能性を探究しつづけたのであって、その結果があれこれの楽曲に結実しているんではなかろうか、ということだ。って、われながらつまらないことを書いておることよ。


ときに。邦楽研究家・吉川英史による伝記は、ところにより情感に流されがちなところもままあるけれど、明治生まれのひとらしく(?)、ときに人物の言動を戦国武将にたとえて語る名調子ぶりもおもしろく(宮城上京前夜を信長の桶狭間前夜としてみたり)読ませる本である。関係者の証言や資料を丁寧にあつめてあり注記も厭わずつけてあるため、愚生のごとき邦楽門外漢にもありがたい。



ところで、宮城と交流のあった内田百輭はここでも(?)とぼけた悪戯オヤヂの面目躍如の様子でこれもまたおかしい。はじめは宮城に箏の稽古をつけてもらう師弟関係だったものが、気がついたら飲み友達になっていたというのもうれしくなるよなエピソードだ。吉川によれば、書名にある「此の人なり宮城道雄」を考案したのも百輭なら、宮城に随筆のてほどきをしたのはほかならなう百輭であったとか。


その随筆をあつめた本が近年岩波文庫でも読めるようになっている。『新編 春の海――宮城道雄随筆集』(岩波文庫緑168-1、岩波書店、2002/11、amazon.co.jp


⇒ビクター > ビクター伝統文化振興財団 > 『宮城道雄大全集』
 http://www.japo-net.or.jp/japonet/hinban/zenshu/file/VZCG-8042.html