小松美彦『死は共鳴する――脳死・臓器移植の深みへ』勁草書房、1996/06、amazon.co.jp


脳死を死と認めるか否かは各自の自己決定にゆだねればいいんじゃない? という死の自己決定権について異議をとなえる一冊(というと語弊があろうか)。


誰も自分の死を経験できないにもかかわらず、自分の死を自分個人のものとして考えることに死の自己決定権の基盤がある。これを小松さんは「個人閉塞した死」と呼ぶ。


対して、死がけっして自分だけのものではなく、他者との関係のなかにあることを主張する。小松さんはこれを「共鳴する死」と呼ぶ。


小松さんが死の自己決定権を批判する動機は、死の自己決定権を認めると、人の死に従来の「心臓死」に加えて「脳死」を勘案する余地ができるからだ。つまり、脳死は人の死ではない、というのが小松さんの主張でもあるわけだが、脳死を批判する道具立てとして死の自己決定権は有効に機能しているといえるかどうか。


この本についてはたしか宮台真司氏と週刊読書人紙上で論争めいた応酬をしていたはずなのだが、切り抜いたはずの記事が出てこない。orz ぼんやりとした記憶では、論点は自己決定の是非をめぐるとおもいきや、瑣末な罵詈雑言のあびせあいのような様相をていしてしまって残念に思ったように覚えている。どうだったっけ。>識者のみなさん


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