ピエール・クロソウスキーニーチェと悪循環』(兼子正勝訳、ちくま学芸文庫ク11-1、筑摩書房、2004/10、amazon.co.jp
 Pierre Klossowski, Nietzsche et le cercle vicieux (Mercure de France, 1969)


クロソウスキーニーチェ論。1989年に哲学書房から刊行された訳書の改訂版。

これは類まれな無知を示す書物である。以前から語られてきたことの総決算をおこなわずして、「ニーチェの思想」だけを語ることがどうしてできるだろう。それは一度ならず踏みしめられてきた道跡に、幾度となくたどられた足跡に、足を踏みいれる危険をおかすことではないか。すでに乗り越えられた問いのかずかずを軽率に問うことではないか。そして、そうすることで、最近までおこなわれてきた緻密な注釈のかずかずに対する怠慢を、配慮の完全な欠如をあからさまにすることではないか。それらの注釈は、われわれの世紀の夜明けのときから一つの宿命がわれわれに送りつづける熱気の波を、一つの予兆として解釈しようとしつづけてきたはずなのに。


われわれの語ろうとすることは何だろう――もしも語ろうとすることがあるとしての話だが。われわれが書いたのは偽りの研究だとでもしておこう。われわれはテクストのなかにニーチェを読み取り、ニーチェが話すのを聞き取ろうとするのだが、ひょっとしたら「われわれ自身」のためにニーチェを語らせているのではないだろうか。ドイツ語で書かれた散文のなかでもっとも心にしみ通る――そして同時にもっとも人を苛立たせる――その散文のささやきを、息づかいを、怒りや笑いの爆発を、自分のために利用しているのではないだろうか。聞くすべを心得る者にとって、ニーチェの言葉は衝撃の力を持つ。その衝撃は、現代史やさまざまな出来事や世界そのものが、ニーチェがいまから八十年ほどまえに問うた問いに多かれ少なかれ脱線したやり方で答えはじめているだけに、いっそう大きな力をもちはじめている。いまやわれわれの日常となった近い未来、遠い未来をニーチェが問うやり方が――そのわれわれの日常をニーチェは痙攣的なものと予測して、われわれの痙攣それ自体のなかに彼の思想の戯画をさえ見ていたのだが――ニーチェのその問い方が、われわれの現在の生のあり方をいかなる意味で描き出しているか、それをわれわれは理解しようと試みるつもりである。

「序文」より



空海コレクション1』宮坂宥勝監修、ちくま学芸文庫ク10-1、筑摩書房、2004/10、amazon.co.jp


「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)、「弁顕密二教論」(べんけんみつにきょうろん)の二作品を収録。


両作品とも原典は漢文のところを、本コレクションでは書き下し文とその注釈で構成している。



★キム・ステルレルニードーキンスVS.グールド――適応へのサバイバルゲーム』(狩野秀之訳、ちくま学芸文庫ウ13-1、筑摩書房、2004/10、amazon.co.jp
 Kim Sterelny, Dawkins VS. Gould (2001)


利己的な遺伝子」のドーキンスと「断続平衡説」のスティーヴン・J.グールドの説を検証。

論議の応酬が絶えなかった20世紀の生物進化における最大の論争に決着をつける。



井伏鱒二文集 第2巻 旅の出会い』ちくま文庫い51-2、筑摩書房、2004/10、amazon.co.jp

日本海のXX島の住民は男も女も申し分ない肉体をしていて、言葉づかいも一風かわっている。どんなに可憐な様子に見える少女でも、頑として腕っぷしが強く、まるきり喧嘩腰かと思われるくらいぶっきらぼうな言葉づかいをする。それ故、はじめてこの島に旅行して来た人には、彼女のおしゃべりや情愛が正確に身にしみかねるだろう。たとえば「おや、あなたはとても近眼がお強いのね!」というときに、おそらく彼女はせいいっぱい若い女性のたしなみを忘れないでいうのであろうが、「われこそ、めっかちのくせに!」という。そこでわれわれが、「僕は決して、めっかちなんかじゃないと思います。」


と答えると、彼女は念のためにわれわれの顔や眼鏡をのぞき込み、


「われこそ、この財布を落としたろうね、めっかち! よべど叫べど筒ぬけするようなその気がわたくしにはわからん。して、躍起にならずに泊まらんかね? 十分かくまってあげましょう。」


それを訳述すれば、次のような意味の言葉になる。


「あなた、この財布を落としません? やっぱし、ひどい近眼でいらっしゃいますわね。あたくしが幾らお呼びしても、素通りしようとなさるんですもの。いいえ、そんなお礼をいっていただかなくても、その代りあたくしどものうちにお泊りくださいませ。お静かな部屋もあいていますから、ごゆっくり静養できますわ」


(以下略)

「言葉について」より(同書所収)