永井均『私・今・そして神――開闢の哲学』講談社現代新書1745、講談社、2004/10、amazon.co.jp


雑誌『本』に連載の「ひねもすたれながす哲学」に加筆した一冊。著者によると、本書は『マンガは哲学する』講談社)、『転校生とブラック・ジャック岩波書店)とともに三部作をなしているとのこと。

無意味なこと、馬鹿馬鹿しいこと、が好きだ。ただただ無意味で馬鹿馬鹿しいだけのこと。それなのに、その中に示された型のようなものが、世界の本質をくっきりと映し出していて、ギョッとさせるような、何かそういったこと。これがいちばん好きだ。芸術と言われるものの中に、時にそういうものがあることは確かだ。哲学も、しつこい議論を通じてだが、そういうものをえぐり出すことができる時が確実にある。


私が感じるテイストとしての哲学とは、いわば、徹底的な馬鹿馬鹿しさとして現れる世界の本質洞察といったものだ。つまり、徹底的に不真面目な真剣さ。ああ、しかし、なんということだ、残念ながら、私自身が勝手に思い描く私の哲学の理想に比べて、私の能力はあまりにも乏しい。本当に心の底から笑えるような本物の哲学が、将来、だれかによって書かれればいいのだが……。

(同書、pp.17-18)



美術手帖第857号 2004年11月(美術出版社)
☆特集=ヴォルフガング・ティルマンス
☆特集=ラリー・クラーク


上記特集のほか、ヴェネツィアビエンナーレ(第9回国際建築展)関連のリポートもある。そういえばここには記していなかったけれど、書店でヴェネツィアビエンナーレ日本館のカタログが販売されている。英語・伊語・日本語で、テーマである「おたく:人格=空間=都市」についての解説を掲載してあるほか、フィギュア(「新横浜ありな in アキハバラ」)がついている。