サブカルチャー



大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後――サブカルチャー文学論序章』ちくま学芸文庫オ14-1、筑摩書房、2004/09、amazon.co.jp

江藤淳は'78年11月、<小説がカルチュアの座から顛落し、サブ・カルチュアに低迷しつつあるという感を、ますます深くせざるを得ないのは遺憾である>と記し、'58年から'78年までの二十年間、<海外にいた一休みしていたりした何年かを除いて>ほぼ休むことなく続けてきた文芸時評の筆を置いた。


(中略)


<”サブ・カルチャー”というのは、地域・年齢・あるいは個々の移民集団、特定の社会的グループなどの性格を顕著にあらわしている部分的な文化現象のことで、ある社会のトータル・カルチャー(全体文化)に対して、そう呼ばれている。


(中略)


ところで文学作品は、ある文化の単なる反映ではなくて、少なくともその表現になっていなければならない。サブ・カルチャーを素材にした小説があっても、いっこうにかまわないが、そこに描かれている部分的なカルチャーは、作者の意識の中で全体の文化とのかかわりあいの上に位置づけられていなければならない。そうでなければ、その作品は表現にはならない。つまり、サブ・カルチャーを素材にした文学作品が表現になるためには、作者の意識は一点で、そのサブ・カルチャーを超えていなければならない。その中に埋没していたのでは、ただの反映にしかならないのだ。>
(『サンデー毎日』'76年7月25日号)

(同書、pp.66-67、引用中の<>内は江藤淳の文章を著者が引用している箇所)


これに続けて大塚英志も書いていることだけれど、上記文中で江藤淳が「トータル・カルチュア(全体文化)」と呼んで、その存在を前提としているものについての実感がわかずに困惑する。1970年代半ばに、江藤淳はなにをトータル・カルチュアと呼んでいたのだろうか?