上記の映画で引用されている書簡を含む、シェーンベルクとカンディンスキーの往復書簡は、つぎの書物で読むことができる。
★シェーンベルク+カンディンスキー『出会い 書簡・写真・絵画・記録』(J.ハール=コッホ編、土肥美夫訳、みすず書房、1985/09、amazon.co.jp)
Arnold Shönberg-Wassily Kandinsky/Briefe, Bilder und Dokumente einer aussergewöhnlichen Begegnung(herausgegeben von Jelena Hahl-Koch mit einem Essay von John C. Crawford, Residenz Verlag, 1980)
本書は、二人のあいだで交わされた書簡と、関連する両者のテキスト、写真、絵画、編者イリエナ・ハール=コッホによる二人の交流についての考察、ジョン・C.クロフォードのシェーンベルク論が併録された書物。構成はつぎのとおり。
編者まえがき
シェーンベルクとカンディンスキー――写真による記録 1911-1927
カンディンスキー 書簡と関連した絵画作品 1909-1923
アルノルト・シェーンベルクのテキスト
・『台本集』への序文、1926
・『幸福な手』音楽つきのドラマ、作品18
・『幸福な手』のための舞台スケッチ
・『幸福な手』のための演出指示
・映画化の計画
・『幸福な手』についてのブレスラウ講演
ヴァシリー・カンディンスキーのテキスト
・『舞台コンポジションについて』
・『黄色い響き』舞台コンポジション
・『画像』(もとは『シェーンベルクの絵画』)
・アルノルト・シェーンベルクの絵画作品 1908-1921
・シェーンベルク『和声学』への注釈
イリエナ・ハール=コッホ「カンディンスキーとシェーンベルク」
ジョン・C.クロフォード「シェーンベルクの1911年までの芸術的発展」
訳者あとがき
1911年にはじまる書簡は、二人の専門分野の垣根をこえて緊密な交流の様子を垣間見させてくれる。第一次世界大戦を境に8年ちかくの空白がおかれて1923年から書簡が再開するものの、1923年4月と5月に決裂を通告する手紙(上記ストローブ=ユイレが映画に引用している手紙)がシェーンベルクからカンディンスキーに送られる。
同書の編者イリエナ・ハール=コッホによると、問題の書簡の発端は、アルマ・マーラー=ヴェルフェル(作曲家マーラー未亡人、ココシュカの恋人、グローピウス夫人、最後に作家ヴェルフェル夫人)がカンディンスキー夫妻を反ユダヤ主義者だと吹聴していたことによるとの由。後に誤解は解けて交流は取り戻されるものの、以前のようなやりとりはなくなって、本書にも数通の書簡がおさめられているのみ。最後の手紙は、カンディンスキーが1936年7月1日に出したもの。
往復書簡なのだから当然のことなのだけれど、二人が直に出会って語り合ったであろうことは、手紙に残っていなくて残念(なにしろ直接語り合ったのだから)。
あとで時間があったら興味深い部分を抜粋してみたい。