★絓秀実編『知の攻略思想読本11 1968』作品社、2005/01、amazon.co.jp


前記イヴェント会場で販売していた関連書。「思想読本」の11巻目。


巻頭に置かれた絓秀美氏による序論「一九六八/一九七〇――そこで始まったこと」は、『革命的、あまりに革命的な』作品社、2003/05、amazon.co.jp)への補遺ともいえる文章。「『六八年』なるものの――正負を問わず――『核心』を見出し、なおかつ、それを現在にかかわるものとして把握するために、これまで同一の地平で考えられることの少なかった(ほぼ皆無といえる)『七・七』と『内ゲバ』を相互に連関するものとして捉える試みである」との由。


つづく座談会「「一九六八年」とは何だった/何であるのか?――一九六八年の脅迫」は、蓮實重彦氏、上野昂志氏との鼎談。雑誌『シネマ69』(1969)誌上で映画批評を書き始めた両氏に、鈴木清順問題(1968)とその前後の状況について語らせていて興味深い。蓮實氏は「六八年に政治的に起こった事柄は愚にもつかないと今でも思っている」としたうえで、絓氏に注文を出している。

大衆消費社会の階級なき大衆をどのように――吉本さんと無関係に――とらえるか、ということが六八年が提起した課題で、未だに誰もやっておらず、私もできなかった問題なんです。大衆消費社会において、テレビにおける情報の伝達が、啓蒙などといった、いくつかの経なければならない経路を通り越して事態が進行している。それをどのように批判的に肯定するかが、おそらく六八年がそうとは意識しないで提起した最大の問題だと思う。そこを絓さんにやってもらいたいと思うんです。


以上二つの文章につづいて、「日本の六八年」「世界の六八年」と二つの部がつづく。


「日本の六八年」では、演劇、アート、映画、音楽、文学、現代詩、マンガ、政治思想といった分野別の論考とエッセイが一篇ずつ掲載されている。


「世界の六八年」では、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、東欧・ロシア、中国・台湾、ブラジル、アルゼンチン、中米の国地域別に一本ずつ論考が掲載されている。


前者(日本篇)はともかく、後者(世界篇)は勉強になる。


また、巻末には「ブックガイド」と「年表」がついている。ブックガイドの一言コメント(ほんとに一言)が、可笑しい(たとえば、サイード『オリエンタリズム』へのコメントは、「◆アメリカの竹内好?」。「?」ってネ、ああた)。