★エルンスト・ユンガー『追悼の政治――忘れえぬ人々/総動員/平和』(川合全弘訳、月曜社、2005/01、amazon.co.jp)#0109


エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895-1998)の政治エッセイ四篇を集めた本。

・「忘れえぬ人々」まえがき(1928)
・「忘れえぬ人々」あとがき(1928)
・「総動員」(1930)
・「平和――ヨーロッパの青年への言葉、世界の青年への言葉」(1945)


書名の由来について、訳者・川合全弘氏による解題「エルンスト・ユンガーにおける追悼論の変遷」から抜粋しておこう。

ここで言う追悼とは、国民戦争における死者の追悼を指している。国民戦争における死者をどう追悼すべきかという問題は、一般に、我々がどういう国民であるのか、その理想が何であるのかという問題と深く連動する。というのも戦死者の追悼は、国民たることに伴う犠牲の重みを我々にまざまざと想起させることを通じて、常日頃はさほど切実に意識することのない自らの国民観をあらためて明示するよう我々に迫る契機となりうるからである。この意味で、戦死者の追悼は、我々の理想がこれほどの犠牲に値するのかという問いかけとそれに対する答えとが表明される場である、と言いうる。あるいは、現前する死と直面することによって我々の絆が最も深く問い直される場が戦死者の追悼である、とも言えよう。


(中略)


追悼論はすぐれて国体論の切実な表明としての意義を持ちうる。本書に収録した三作品中、『忘れえぬ人々』と『総動員』は第一次大戦のドイツ戦没兵士の、『平和』は第二次大戦における全ての死者の追悼論である。私がエルンスト・ユンガーの政治的エッセイの中から特に追悼を論じたこれら三つの作品を選び出して一つに纏めたのは、これらにこそユンガーのドイツ国体論の核心が表現されているのではないか、それゆえこれらを精読することによって、従来あまりにも皮相的に解釈されてきたユンガーのドイツ・ナショナリズム思想を正しく理解する途が拓かれるのではないか、と考えたからである。

(同書、pp.165-166)


「ユンガーのドイツ・ナショナリズム思想を正しく理解する」ことをつうじて、なにが達成されるのか? という素朴な疑問を持ったのだけれど、これはもっぱら読み手側の勉強不足によることだろうから置いといて。


一度通読した印象では、私と同じようにユンガーの仕事に不案内な読者は、最後におかれた「平和」から読みはじめて、「総動員」忘れえぬ人々とさかのぼったほうがよいのではないかと感じた。


#つづく


月曜社 > 『追悼の政治』
 http://getsuyosha.jp/kikan/tsuito.html


⇒エルンスト・ユンガー
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/9565/
 平野和男氏(千坂恭二)によるユンガーに関するサイト。