★湯山光俊『はじめて読むニーチェ(新書y128、洋泉社、2005/02、amazon.co.jp)#0133


湯山光俊(ゆやま・みつとし, 1963- )さんによるニーチェ入門書。


「いつかこの人が書いた書物を読める日が来ないだろうか」と心待ちにしていた著者のひとりです。本書は、以下のような三章構成でニーチェの生涯と思想と作品を紹介してゆきます。

第1章 フリードリッヒ・ニーチェ年代記――「三段の変化」
第2章 フリードリッヒ・ニーチェの思想――「発見」と「発明」
 A 《概念》
 B 《心理学》
 C 《文体》
第3章 フリードリヒ・ニーチェの主要作品
フリードリッヒ・ニーチェ略年譜
あとがき


第1章では、ニーチェツァラトゥストラで呈示した、精神の「三段の変化」(「駱駝」→「獅子」→「幼子」)をニーチェ自身に適用しながら、彼の生涯を年代記的に概説します。


本書の中心部でもある第2章では、ニーチェの仕事を「発見」と「発明」という観点からニーチェの思想を読みます。

人々には見えなかったものが、ある人物によってみんなに見えるようになるのが発見であるとすれば、ニーチェは人間心理の奥底や社会の暗闇まで、人があえて見ないような場所へと目をこらし観察しました。そして、さまざまな企みや仕組みを発見したのです。それから先はもう誰一人目をそむけることができないものになりました。

(同書、p.83)


そのようにしてニーチェによって発明/発見された概念、心理、方法として、湯山さんは「アポロとディオニュソス」「永遠回帰」「力への意志」「ニヒリズムの心理学」「ルサンチマンの心理学」「詩という方法」「「アフォリズム」という方法」「キャラクターで語る方法」「系譜という方法」を選び出しています。


本書から受け取った言葉のなかで、注視したい言葉に「Einverleibung(体現)」があります。これは、ある概念を使うということはどういうことか、という問題をめぐって提出されています。

哲学における概念は出来事を定義することができます。しかしニーチェの概念はさらに別のものを求め、定義ではなく、作用や運動を作り出そうとしました。そればかりかほんとうに概念を使うことができるようになるには、その概念を忘れて、意識しないまま肉体がその働きに組み込まれるまでをめざしているようなのです。

(同書、pp.121-122)


たとえばピアノ演奏を習得する過程で、はじめは運指を意識しながら演奏するうちに、次第にどのように指を動かすかということが無意識化され、その段階にいたってはじめて自在な演奏をできるようになる、というステップがある。


同じように概念を使うことについても、意識的な使用から消化・健忘を経た体現(血肉化・摂取同化)へ、という使い方がありうることを湯山さんはニーチェとともに(ここではフロイトによる「Einverleibung」の解釈を補助線にしながら)示しています。

まず永遠回帰の教えを自分の体の中に取り入れ快楽を得ること。次に永遠回帰の教えを消化分解するように健忘すること。最後に永遠回帰の教えの栄養だけを摂取して、我がものとすること。

(同書、p.125)


概念との接し方にもいろいろなスタイルがあります。たとえばフェリックス・ガタリはどこかで、美術館にはいった泥棒のように概念を使えばいい、と言っていました。気にいった絵(概念)や自分が抱えている問題に使えそうなものがあったら、ちょっと拝借して自分の部屋にかければいい。そんなふうにあちこちから概念を拝借して作り変えてゆくものだ、と(以上は不正確な記憶によります。典拠がわかったら後で追記します)。上記のニーチェのスタイルを含めて、どのような流儀があるのかを考えてみたいと思いました。


「この本を閉じて、もっとニーチェを読みたいと『読み始める』人を一人でも多く仲間にするために」(同書、p.217)という動機で書かれた本書から、ニーチェ作品へ足をのばすための多くの示唆を得ることができると思います。これからニーチェを読んでみたい人に、あるいは、いまいちどニーチェを読んでみたい人にもお薦めの一冊です。


洋泉社
 http://www.yosensha.co.jp/


⇒哲劇メモ > 2005/02/04
 http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050203#p1
 わが相棒・吉川浩満による同書へのコメント。


湯山さんには本書のほかにつぎのような仕事や週刊読書人での書評などがあります。


「二重の論理学、溢れ出る生――ジル・ドゥルーズについて」(『ポリロゴス1』特集=ミシェル・フーコー、冬弓舎、2000、所収)


「失われた身体を求めて――共感覚はメディアをアレンジメントする」(『ポリロゴス2』特集=越境する身体、冬弓舎、2000/11、所収)


「「汚辱に塗れた人々の生」の諸力」(『現代思想』2003年12月臨時増刊号、青土社、2003、所収)


⇒冬弓舎 > 『ポリロゴス1』
 http://www.thought.ne.jp/html/adv/pl1.htm


⇒冬弓舎 > 『ポリロゴス2』
 http://www.thought.ne.jp/html/adv/pl2.htm


青土社 > 『現代思想』 > 2003年12月臨時増刊号「特集=フーコー
 http://www.seidosha.co.jp/siso/200312s/