世田谷美術館瀧口修造:夢の漂流物——同時代・前衛美術家たちの贈物 1950s〜1970s」展が開催されている。2005年2月5日からはじまったこの展覧会では、詩人、美術評論家、あるいは自らも作品した瀧口修造(たきぐち・しゅうぞう, 1903-1979)にまつわる作品・資料700点が出品されている。


会場には、所狭しと(けっして狭い場所ではない)、瀧口が交流した作家、美術家たちから瀧口のもとへ送り届けられた「夢の漂流物」(現在は、多摩美術大学図書館の瀧口修造文庫や、慶応義塾大学の瀧口修造アーカイヴ、富山県立近代美術館などに収蔵)や瀧口自身による収集物、創作物が陳列されている。


ブルトンデュシャン、ミロといった作家たちとの交流の痕跡(書簡や献呈本、共作など)が興味深いのはもちろんのことだけれど、個人的にはここに集められた漂流物に、函におさめられた作品が少なからずあることに目がいった。


瀧口修造「ロトレリーフ」
まるで博物学の標本のように、さまざまなモノが函にいれられている。デュシャンの名高いボックス・セットはもちろんのこと、荒川修作の「知覚の肉」(1958)、加納光於「For Star of Sagittarius」(1968-1969)をはじめとして、そのつもりで観るとそこかしこに函入りの作品がある。瀧口自身による「ロトレリーフ」もまた函にはいった作品であった。


当然のことながら函入りの作品は、函の内にあるものをその外部から区別する。たったそれだけのことで、函のなかには完結したひとつの小宇宙(ミクロコスモス)が現れる。瀧口の書斎に漂着し併置された函たちは、互いに引力を及ぼしあいながらさらなる宇宙をかたちづくっている。


他方で瀧口自身もまた、似たような小宇宙(ミクロコスモス)を創ることに関心をもった人物ではなかったか。漂流物にまざって、手作りの書物が多数置かれている。折にふれて瀧口が言葉をあつめて、書きしるし、綴じて、装幀を施した書物たちである。書物もまた、かたちあるものとして造られることによって、書物外と書物内とを区別する。書物のなかには完結したひとつの小宇宙(ミクロコスモス)がある。物質としての書物は時のながれとともに風化し滅びるとしても、崩壊するそのときまではそれ自体で完結したものとして存在する(たとえ書物は読まれなければ存在しないということ、読み方によって異なるものとして立ちあらわれるということが事実だとしても)。


そもそも(すくなくとも近代以前のかたちあるものとしてつくられる)作品というのはそういうものだろう、と言われればそれまでなのだけれど、この展覧会に陳列された漂流物と、瀧口の手による書物とのあいだには、ここに述べたような類似性——それを一言でいうなら、「収蔵への意志」とでも言うべきもの——があるように感じられたのだった。


本展覧会には、上記した漂流物や瀧口による書物のほか、瀧口が蒐集した美術展のポスターや執筆・蒐集した書籍・雑誌、瀧口による一連の「デカルコマニー」(転写をもちいた描画法による作品)が展示に供されている。参考まで、漂流物の造り主である作家の名前をいくつかひろっておこう。荒川修作武満徹草間彌生岡崎和郎合田佐和子、北代省三、赤瀬川原平、大辻清司、篠原有司男、中西夏之マルセル・デュシャンアンドレ・ブルトンマン・レイジョアン・ミロ、サム・フランシス、ジャスパー・ジョーンズなどなど。


なお、同展覧会の図録は目下制作中とのことで、ミュージアムショップで予約をすると、入荷(三月下旬を予定)と同時に発送するようになっている。会期は、2005年04月10日(日)まで。


世田谷美術館
 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html


多摩美術大学図書館 > 瀧口修造文庫
 http://archive.tamabi.ac.jp/bunko/takiguchi/t-home.htm


慶応義塾大学アート・センター > 瀧口修造アーカイヴ
 http://www.art-c.keio.ac.jp/Takiguchi/index-j.html