三角みづ紀『オウバアキル』思潮社、2004/11、amazon.co.jp)#0366*


読みながら既視感を覚える詩集だった。世界のなかに居場所が見つからない「私」のモノローグに満ちている。いじめ、薬、不安、リストカット自傷行為、死、性、精神科。


なぜ既視感が訪れたのかといえば、それはたぶん、しばしばインターネット上でこの詩集にあらわれるのと似た言葉たちに出会うからだと思う(それがよい/わるいという話ではない)。自分がいつからこういう光景に見慣れてしまったのか判然としないけれど、この詩集に書かれた言葉が、ほとんど摩擦をもたずするりと自分のなかを通過してゆくのには少しく当惑した。どうせならもっとオーヴァーキル(overkill やりすぎ/過剰殺戮)してくれたら好いのに、と思うのは、むしろ刺激をオーヴァードース(overdose 過剰摂取/やりすぎ)している愚生の側の問題であろうか。詩の問題か、読み手の問題か、両者の組み合わせの問題か。


「イマワノキワ」と題された作品にあらわれる——

私という範囲
は私の肉体
を超えることはないの


という言葉が印象に残る。



中原中也賞の選考委員(荒川洋治井坂洋子北川透、佐々木幹郎、佐藤泰正、中村稔)は本作を第10回中原中也賞に選んでいる。ユリイカ2005年4月号(青土社amazon.co.jp)に収録された選評の言葉によると、荒川洋治氏が強く推した経緯がうかがわれる。選評には、各委員が最終的にこの選定をどのように納得したかが書かれているのだが、結果をどう感じたかというよりはむしろ、早稲田文学新人賞の選考過程掲載のように、その選考の過程を活字に起こしてほしいと思う(非常に興味深い読み物になるにちがいない)。


選評から印象に残った言葉を。

取り立てて技巧を感じさせない語法が、むしろ、巧みではないか、と思わせる力がある。

北川透評より)


詩にはこんな褒め方もあるのか、とメモ。


中原中也記念館 > 中原中也
 http://www.chuyakan.jp/09syou/10/09main10.html


⇒作品メモランダム > 2005/04/19 > 『ユリイカ』2005年04月号
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050328/p1