『いける本・いけない本』2005春02(ムダの会、2005)


出版界の有志が発行する書評誌の第二号。出版関係者が実名で、「いける本」と「いけない本」をコメントつきで紹介するアンケートは、書物に携わる本読みのプロが書物をどのような眼で読んでいるのか/読んでいないのかがううかがえておもしろい。



今回は、2004年下半期から2005年2月まで(例外あり)の刊行物が対象で、20名の執筆者がノンジャンルで「いける本」「いけない本」をそれぞれ3冊ずつ選出している。なかでも目立つのは、中沢新一氏の『僕の叔父さん 網野善彦集英社新書0269、集英社、2004/11、amazon.co.jp)で、5人の執筆者が「いける本」にあげている。


その他、六本のエッセイが掲載されている。K1&K2「炉辺夜話・1 翻訳書に新しい流れが見えてきた」は、昨今、古典的作品が新訳される傾向を概観した一文。岩波文庫ちくま文庫が古典の新訳刊行に注力しているのにたいして、新潮文庫の動きがにぶいことについて、

大久保康雄翻訳工房産の、今では読めない作品をたくさん抱えてるのにね(笑)。でも、黙ってても売れるから、変えるに変えられないのかもしれない。古典の翻訳文庫は、なにしろ新潮の一人勝ちですから。その辺りは、訳を選ばない読者のほうにも問題がある。


なンてコメントも。「訳を選ばない」といわれれば耳もいたいけれど、たいていは選ぶ以前にまず手にいれて、それから読み、「なんじゃこりゃ」と思ってうっちゃる、というパターンになるため、売る側から見ると選んでいないように感じられるのかもしれない。


読者の観点からすると、それこそ古典的作品や参照される頻度の高い翻訳書については、具体的な問題点を集積・検討する場所があるとよいと思う(あるのかもしれない。探してみよう)。たとえば、ウェブサイトフロイト郵便」はその好例で、フロイト著作集』人文書院)の訳文正誤の情報をまとめている。翻訳権などの問題で新訳したくとも事情が許さない本(あれとかそれとか)についても、同様の試みがあればせめてもの救いだろうか。


なお、『いける本・いけない本』は書店店頭で無料配布されている。


フロイト郵便
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