増田聡+谷口文和『音楽未来形——デジタル時代の音楽文化のゆくえ』 (洋泉社、2005/03、amazon.co.jp)#0384


古代ギリシャの音楽』(Musique de la Grèce Antique)(KKCC-9201, amazon.co.jp)というディスクがある。これは、伝存する古代ギリシアの音楽作品の断片をもとに、グレゴリオ・パニアグワ(Gregorio Paniagua)とアトリウム・ムジケー古楽合奏団(Atrium Musicae de Madrid)が「再現」したものだ。再現といっても断片のあいだを埋め、どの楽器をどのように使うかという解釈がはいることでできあがったもので、単に楽譜どおりに演奏するという音楽ではない(もとより単に楽譜どおりに演奏するということはほとんどありえないのだが)。この録音は、はじめアナログで発表され、近年CDで再発されたもので、私はそれをコンピュータと iPod で聴いている。


harmonia mundi FRANCE > Musique de la Grèce Antique
 http://harmoniamundi.com/france/album_fiche.php?album_id=33



わざわざこのような例を持ち出したのは、本書を読んで「ああ、音楽の歴史は演奏と記録と再生の歴史であることだよ」ということをあらためて考えさせられ、そのさい手元にあったもっとも古い起源をもつ音楽のひとつが思い浮かんだのだった。


音楽を演奏したり聴いたりするということは、けっこう手間のかかることだ。能力の有無は別として、音楽を演奏するにせよ、聴くにせよ、伴奏のない生の声で歌う/聴くという場合をのぞけば、音楽にはかならずやなにかしらの装置がかかわってくる。ここで「装置」というのは(本書で引かれているフルッサーの装置/機械の区別とはとりあえず関係なくて)、音楽の演奏・記録に必要な譜面、楽器やアンプ、スピーカー、マイク、ミキサー、コンピュータ(とソフトウェア)等々の各種装置や、音楽を聴くために必要なレコード、テープ、CD、DAT、MD、ハードディスク、メモリーといった記録媒体やそれらの媒体から音楽を再生する各種プレイヤーといった道具のことを指している(もっと広くとればここには音楽ホールのような建築・場所も含まれてくる)。音楽をこうした装置やそれを可能にしている技術を抜きに考えることは難しい。さきに掲げた楽曲を私が耳にするまでにどれだけの技術の累積に拠っていることだろう。


これら各種装置は、技術の変化によってつぎつぎと更新されてゆく。作曲したり演奏したりする人なら、楽器や周辺機器、あるいは録音環境がこの十数年でどれだけ変化したかを、聴く人なら、記録/再生装置の急速なディジタル化のことを思い出してみよう。音楽をつくることや受容することはそうした音楽経験を可能にする条件である装置に依存し、その変化に大きな影響をうけるものだ。


なかでもディジタル化による変化は、音楽の作曲/演奏/記録/流通/再生のどの場面にも大きな影響を及ぼしている。ここでディジタル化とはひとまずおおざっぱにコンピュータで処理できる、という程度の意味である。ディジタル化された音楽はデータとしてネット上をいきかったり、CDからPC(パーソナルコンピュータ)へ、PCからiPodやCDへと容易にコピーされるようになった。そんなことを自由にされたらCDの売り上げにかかわる、と考えた音楽販売業者がCCCDコピーコントロールCD)、つまり、PCへのデータコピーを阻止する細工を施した仕様のCDをリリースした。このCDをめぐってはさまざまな問題が生じており、CDを購入したりレンタルすることが多い人であればなにかしらの形でCCCDにかかわり、それに賛成するにせよ反対するにせよ考えさせられるという経験をお持ちなのではないだろうか。


簡単に言えば、音楽を聴く(配布する)技術環境と音楽産業が従来前提としてきたビジネス・モデルとのあいだにズレが生じ、そのズレを従来のビジネス・モデルにあわせて調整しようとしたのがCCCDの試みだった。この試みにいささか無理があることは、さまざまに指摘されているところでもある。


前置きが長くなったが、本書は音楽の置かれた現状の分析をひとつの契機として、言われるところの「音楽」とはそもそもいったいどういった条件のもとに成り立ってきた事柄なのか、という根源的な問題にとりくんだ好著である。


音楽の経験を成り立たせる条件には、文化・社会的な要素もあれば、経済的・美学的な要素、あるいは他分野との関連等々その他諸々の要素がある。なかでも本書の著者たちが着目するのは、先にみたように音楽と切っても切れない基本的な要素である技術(テクノロジー)だ。楽譜だけが音楽を記録する装置であった時代とレコードが発明されたあととでは同じ「音楽」という言葉で名指される出来事の内実は当然のことながらちがっている。音楽がディジタル化されて特定の媒体から離脱を果たしたあともまたしかり。本書は、そうした技術の変化に規定される音楽の制作、作品観、流用、著作権などの諸側面がどのような変化を被ってきたのかを歴史的に整理・検証してみせてくれている。

第1章 音楽を揺るがす装置
第2章 レコードの20世紀
第3章 正体不明の「作品」
第4章 「音楽」を更新するDJ
第5章 多層化する「聴くこと」
第6章 オリジナリティと音楽の経済


本書の最大の効能は、読み手の音楽とのかかわり方や好みのジャンルや趣味はともかくとして、提示されている議論を通過することで、凝りかたまりがちな音楽観がほぐされることにあると思う。ヘンな言い方になるけれど、読了後にそれまで当たり前に思っていた音楽という言葉の意味がすこしでも複雑に見えるようになったとしたら、本書を読んだ甲斐があるというものだ。


なお、本文はリーダブルで用語、人名にも丁寧な註がついているから、音楽学の書物に馴染みのない読者や私のような門外漢にも難なく読み通すことができる。今後とも技術の変化にともなって変化をつづけてゆくであろう音楽につきあってゆくためにも、本書のストレッチで頭をほぐしておきたいところ。音楽が気になるあなたは今年必読の一冊*1



先頃、著者の一人・増田聡氏が寄稿している論文集が刊行された。つづけて読んでみたい。


クラシック音楽の政治学』青弓社、2005/04、amazon.co.jp


また、みすず書房から以下の作品の刊行が予定されている。


増田聡『その音楽の〈作者〉とは誰か——リミックス・産業・著作権みすず書房


もはや単にみすず書房で音楽関連書ということで想起しただけなのだけれど、


☆東谷護進駐軍クラブから歌謡曲へ——戦後日本ポピュラー音楽の黎明期』みすず書房、2005/04、amazon.co.jp


も読みたい。


⇒増田
 http://homepage3.nifty.com/MASUDA/index.html
 増田聡氏のウェブサイト


⇒ロック少年リハビリ日記
 http://masuda.way-nifty.com/blog/
 増田聡氏のウェブログ


⇒ロック少年リハビリ日記・別館
 http://d.hatena.ne.jp/smasuda/
 増田聡氏のウェブログ


⇒miharashicompression
 http://www.geidai.ac.jp/~ms15916/
 谷口文和氏のウェブサイト


洋泉社
 http://www.yosensha.co.jp/


青弓社 > 『クラシック音楽の政治学』
 http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-7195-4.html
 同書の詳細な目次あり

*1:今年だけではありませんが。