『エレニの旅』(170min, 2004)
 ΤΡΙΛΟΓΙΑ: ΤΟ ΛΙΒΑΔΙ ΠΟΥ ΔΑΚΡΥΖΕΙ



テオ・アンゲロプロス(Θεοδωροσ Αγγελοπουλοσ, 1935- )の『エレニの旅』を観る。


1919年、赤軍オデッサ入城によってかの地に暮らしていたギリシア人の一団が、難民としてテサロニキに帰ってくる。映画はそんな場面からはじまる。


オデッサといえばかつて古代ギリシアの植民地オデッソスがあったとの誤解から名づけられた場所で、はしなくも映画の背後に折り重なっている歴史が垣間見えてくる。


映画は、その難民ギリシア人たちのなかにいる二人の孤児エレニ(アレクサンドラ・アイディニ, 1980- )とアレクシス(ニコス・プルサニディス, 1982- )の生涯を鏡として、20世紀前半、激動のギリシア史を描き出す。


エレニの境遇は映画の冒頭からすでに、移民の子であり難民であり孤児であるという三重の喪失によって徴づけられている。エレニはやがてある出来事から養父スピロス(ヴァシリス・コロヴォス, 1945- )の元も離れ、スピロスたちがテサロニキに造りエレニたちが育った村ニューオデッサをも出てゆくだろう……。


エレニの旅は喪失の旅である。なぜ、どのようにしてエレニはさまざまなものを失ってゆくのか。アンゲロプロスは彼女の境遇をつうじてさまざまな愚劣を静かに指し示してゆく。彼の映画がいつもそうであるように、その愚劣を事後の眼で裁断したりはしない。エレニの存在はつねに人びとのあいだ、村や街のなかにあることが、そうした光景をゆっくりととらえるワイドショットで示される。そこでは互いに自分の生活を営む人びとがめいめい勝手に道を往来する様子が一望されて、観る者が気持ちよくエレニに感情移入することを阻む役割を果たしているように思われる。


トリロギア(ΤΡΙΛΟΓΙΑ)、つまり三部作であることが予告されているその最初の一本である本作は、主に1930年代から1940年代を舞台にしている。1930年代のギリシアといえば、廃止されていた王政が復古し、王党派と共和派との対立がつづく時代。王党派が政権をにぎり、王政に反対する共和派は激しく弾圧されてゆく。さらに1940年にはイタリア・ファシスト政権によるギリシア侵入を契機にそれまで中立を保っていた第二次世界大戦に参戦。翌年にはナチス・ドイツによって占領される。戦後も内戦状態となり混乱は続く。


こうした歴史的背景については、『1936年の日々』(1972)、旅芸人の記録(1974-75)、『狩人』(1977)のいわゆる「ギリシア現代史三部作」や、アレクサンダー大王(1980)といった作品を観てきた人には馴染みのあるものかもしれないけれど、現代ギリシア史といわれておぼつかない向きは上記の流れだけでも念頭に置いたうえで映画に向かうとよいと思う。もちろん、なにも知らずに観たとしてもそれによって作品の価値がいささかなりとも減ずるわけではない。


また、本作でもこうした暗く見通しのきかない時代のなかに音楽がおかれていることが印象的だ。あちこちの宴会や酒場に呼ばれて出向くいわば「旅芸人」のバンドが時代に縛られながらも死に絶えない自由のありさまを象徴している。クストリッツァの混乱する時代のなかを文字どおり疾走するバンド(『アンダーグラウンド』)も魅力的だが、ひっそりとありあわせの楽器で奏でられるアンゲロプロスの音楽もまた時代の愚劣に拮抗しえないまでも、抵抗への希望をあらわしているようで頼もしく思われる。


⇒THEO ANGELOPOULOS official website(英語/ギリシア語)
 http://www.theoangelopoulos.com/


⇒『エレニの旅』
 http://www.bowjapan.com/eleni/