現代思想第33巻第5号(青土社、2005/05、amazon.co.jp)#0404


特集は「公共性を問う」。身近な話題としては下北沢の再開発問題を扱った論考が三本。そのほか「ジェントリフィケーション」を中心にすえた議論が目立つ。ジェントリフィケーションとは簡単に言えば都市の再開発によって在来居住者が追われてかわりに中高所得者層が住み込む地域に作り変えられること。

たくさんあるロンドンの労働者階級のどの街角も——上層、下層を問わず——中間階級の侵入をうけている。みすばらしい質素な長屋や小住宅——上下階各二室ある——は、賃貸契約が満了になると接収され、優雅で高級な邸宅になってしまう。(中略)ひとたび「ジェントリフィケーション」というこの過程が地区ではじまると、すべてのあるいはほとんどの労働者階級の元住民が立ち退かされ、地区の社会的性格が完全に変わってしまうまで目まぐるしい勢いで進められていく。

(ニール・スミス「ジェントリフィケーションは卑劣な言葉なのか」に引用されたルース・グラスの言葉。強調は八雲による)


ペドロ・コスタのインタヴュー「壁の汚れ、想像力とともにある生」(聞き手=入江宗則/訳=御園生涼子)では、『骨』『ヴァンダの部屋に続く第三作を撮影中の作家から、街のなかで人びととともに映画をつくることについて話を訊いている。コスタの言葉から引用しておきたい。

大事なのは、映画を作るという仕事(労働)です。映画ではありません。例えば、あなた達、東京やパリ、ロンドン、ベルリンのシネフィル達にとって重要なのは映画でしょう。しかし、私にとって、最も重要なのは人々とともに作り上げることなのです。私が映画の出来に満足できるのはその後のことです。


青土社 > 『ユリイカ
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