ヴァンダの部屋(178min, 2000)
 No Quarto da Vanda


ペドロ・コスタ(Pedro Costa, 1959- )監督作品。


前作『骨』に出演したヴァンダ・ドゥアルテとその家族の生活を中心に、リスボン郊外のフォンタイーニャス地区の出来事を映した作品。


狭い路地が迷路のように通うフォンタイーニャス地区は、アフリカからの移民も多く住むスラム街。再開発のために取り壊しが進んでおり、たえずショベルカーが建物を取り壊す音が響いている。ヴァンダは稼業の野菜売りを手伝うものの、たいはんの時間は自室のベッドの上でときに妹と一緒にクスリをやっている。カメラは咳き込みときに嘔吐さえするヴァンダの様子をじっと映す。絶えずクスリを吸引し、煙草を吸っている。彼女が部屋にいる時間はほとんど寝ているかクスリをやっているかだ。


どうやら地域全体がジャンキーの街と化しているらしく、カメラはときどきヴァンダの元を離れて別の人びとに向けられる。彼らは再開発の手が伸びて自宅(といっても誰かが打ち棄てた家屋に荷物を持ち込んですんでいるだけなのだが)が取り壊される段になると、あわてて次の家に移ってゆく。彼らも暇さえあれば手馴れた手つきでクスリを注射している。


コスタが二年をかけて130時間(7800分)撮影し、一年をかけて178分に編集したというこの作品、もはやそんな分類に意味があるのかどうかあやしい気持ちになりもするのだけれど、言うところのドキュメンタリー映画である。


ここにはお説教も哀れみもなく、ひたすら眼差しを向けるという営為だけがある。178分の映像を観たあとでは、もはやカメラがいないときにヴァンダや住人たちがどのように生活しているのか、つまりカメラという観察者が介入することで彼女たちの生活がどのように変容を被ったのかを想像するのは難しい。彼女たちはカメラとコスタの存在をどう感じていたのか? カメラが部屋にはいった当初から、こんなにも自然に(カメラなどそこにないかのように)彼女たちはふるまっていたのか。提示された作品を観る態度としては正しくないけれど、編集で落とされた7622分の映像が気になる。


⇒作品メモランダム > *[Pedro Costa]
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 当ウェブログでコスタに言及したエントリ