オペレッタ狸御殿(2005)


がらさ城城主・安土桃山平幹二朗)はこの世で一番美しい者を自負する男。おかかえ予言者びるぜん婆々由紀さおり)に「生きとして生けるもので一番美しいのは誰じゃ?」と問うのが日課。日頃は「それは安土桃山さまでございまする」と応答があるところ、その日はとうとう別の人物の名が告げられる。息子の雨千代オダギリジョー)こそがこの世でもっとも美しい者、占いはそう答えたのだった(無理もない)。


これを喜ぶかと思えば安土桃山のナルシシストぶりは尋常でなかった。そんな恩知らずの息子は快羅須山〔かいらすざん〕へ棄ててしまえと憤る。事情を知らぬ雨千代は、安土桃山の手下の手を逃れてゆく。たどりつくのは、狸ヶ森の国境。そこで出会った狸姫チャン・ツィイー)と恋に落ちる雨千代であった……。さてはどうなる狸と人の恋物語り。


と、ストーリーは昔話や御伽噺によくあらわれるパターンを組み合わせたようなものだがそれはそれ。オペレッタ(operetta)というくらいで、そこかしこではじまる歌と踊りが見せ所。ストーリーはそのための口実といえば言い過ぎだけれど、舞台装置や表現をふくめ、従来作同様、重度の形式化が施されている。絢爛な日本画や満開の桜を背景に、カットごとに追究された歌舞伎的なキメと、そのキメのつなぎが醸し出すちょん・ちょん・ちょん、という間合いは、形容詞不足の愚生には清順節としか言いようのない小気味よさ。鈴木清順の映画を観に行くというときに何を期待して足を運ぶかといえば、絶妙なタイミングで繰り出されるスライドショーのようなその間であるといっても過言ではない。


本作の脚本を手がけた浦沢義雄(うらさわ・よしお, 1951- )氏による歌詞(たとえば、「恋する炭酸水」の「♪ソーダ水の雨があがって、レモン色したたそがれのとき、見つめる二人……」)はいくぶん間延びして古色を感じさせるものだった。が、ひょっとしたらそれは単に西欧音楽の語法に日本語をのせる居心地の悪さという明治以来の問題がここにも顔を出しているということに過ぎないのかもしれない(その最たるものは劇団四季の翻訳による歌だと思う)。というのも、唐からやってきたという設定の狸姫が中国語で歌う歌は、リズムも節回しもあきらかに日本語のそれよりもきまっているからだ。


とはいえ、本作にCGと音声合成による出演を果たした美空ひばり(みそら・ひばり[加藤和枝], 1937-1989)や、笠置シヅ子(かさぎ・しづこ[亀井静子], 1914-1981)がかつて歌っていた歌謡曲を思うと——もちろん監督や脚本家もそんなことは承知の上でこのようにつくっているわけだが——日本語ヴァージョンの歌にも別のやり方がありえたのではないかとつい考えてしまう。それだけに笠置シヅ子美空ひばりも出演していた戦前戦後の狸御殿シリーズもぜひ観てみなければなるまい。


⇒『オペレッタ狸御殿
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