★「写真はものの見方をどのように変えてきたか 2 創造」(東京都写真美術館)
東京都写真美術館が開館10周年を記念して企画した特別企画展「写真はものの見方をどう変えてきたか」の第二部「創造」が開催されている。
同企画展は、写真の歴史を全4部の構成でふりかえるもので、歴史を概観するとともに、普段は書物の複製でしかお目にかからないオリジナル・プリントに接することができ、門外漢には誠にありがたい企画だ。
第1回の「誕生」に続く第2回「創造」では、「モダンエイジの開幕」と題して19世紀末から1930年代、美術史でモダニズムの時代と区分される時代の写真を紹介している。
絵画を手本にして構図をつくる「ピクトリアリズム」が興れば当然のことながら、そうした作為に異を唱える自然主義も出てこよう。この作為と自然の両極のあいだを写真の歴史もまた反復し、そのなかから「写真にしかなしえないこと」の探究もはじまる。
たとえばロール・アルバン=ギヨ(Laure Albin-Guillot, 1880?-1962)の顕微鏡写真は、かつてロバート・フック(Robert Hooke, 1635-1703)が顕微鏡を覗き込みながら描き取った微視的世界そのままに植物の細胞を写し取ってみせる。また、ハロルド・E.エジャートン(Harold Eugene Edgerton, 1903-1990)による「電球を通り抜ける弾丸」(1936)のように、私たちの視覚ではとらえきれない高速の世界を見事にとらえている。
他方では、バウハウスやシュルレアリスムにおいて展開されたさまざまな実験的表現の数々があり、写真表現の未踏領域が踏査されてゆくのもこの時代。
自然と作為といえば大雑把にもほどがある図式だけれど、こうして歴史をながめやると、両者が互いを必要としている機微が見えてくる。言ってしまえば莫迦みたようなことだが、スナップの一枚がすでにそうした作為と自然のどちらともつかぬ交差点で撮られるものではなかったか。
⇒作品メモランダム > 2005/05/06
http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050607