ユリイカ第37巻第7号、2005年7月号(青土社、2005/06、amazon.co.jp


特集は、「この小劇場を観よ!——なぜ私たちはこんなにもよい芝居をするのか」


ケラリーノ・サンドロヴィッチ長塚圭史の対談「小劇場のスピリッツとはなにか」江本純子毛皮族)+土屋亮一(シベリア少女鉄道)+三浦大輔ポツドール)+本谷有希子劇団、本谷有希子)の座談「居酒屋の片隅で、世界をめざす——わたしたちの夢と野望、あと金」など、現場の作り手の声に接することができる企画のほか、現代日本演劇界(の一部)を展望する内野儀「J演劇をマッピング/ザッピングする」「この劇団がすごい'05」など、好企画がありがたい。


創作にはいろいろなジャンルがあるけれど、管見ではなかでも演劇人がもっともおかしなことを考え続けている人種であるように思う。今回、シベリア少女鉄道を主宰する土屋亮一のシベリア少女鉄道? なんでお前らが全作品解説」を拝読し、その思いをいっそう強くした。同解説に掲載されている「公演ネタ出しノートの抜粋」を目にしたら、良識ある人は「いい大人がなにを妄想しているのだ」と眉を顰め、良識の有無とは関係なくおもしろいもの好きな人は「莫迦だなァ!(絶賛) ていうかこのノート全部公開してくださいよ」と言うに違いない。自分が関わっていたゲーム屋のネタ出しミーティングなどもまたいい大人が何人も膝をつきあわせて傍からみたら冗談か遊びにしか見えない議論を真剣にやるのだが、「なにを考えちょるのか?」度では演劇人に負けていると思う。


それこそ言えば莫迦みたようなことだが、演劇の真骨頂は、その考えた妄想を、己の肉体と言葉、せいぜいが手の込んだ大道具だけを使って実現させるところにある。そしてその場に駆けつけたものだけがその場限りの愉悦に与ることができるのだから思えば贅沢な作品だ。

KERA 面白いのも多いけど、圧倒的に外れのほうが多いのはネックだよね(笑)。生まれて初めてチケットを買って観た芝居が大外れだと、やっぱり二度と観なくなった人っていっぱいいると思う。(中略)でも、それぞれの主宰者が試行錯誤できるというところに良さもあるわけだから、難しいよね。数限りない失敗があるからこそ、面白いものもできるわけで、とにかくメゲずに観る!というところかな。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ長塚圭史「小劇場のスピリッツとはなにか」より)


主宰者単位で試行錯誤ができるというのは、リスクは大きいものの創作という点ではメリットだと思う。作品する現場があってディレクターがいてプロデューサーがいて営業がいて社長がいて会長がいて、作品をするためにはそうしたすべての人の承認が必要という組織ではヘンな企画が通る可能性はぐっと低くなる。ヘンなものとは見たこともないもののことだが、それは前例がないために売れるかどうかの想像がつきづらいためだ(資本の増加を目指す企業体としてはそれでよいわけだが)。


この特集を読んで、石橋を叩かない演劇の野蛮さもまた、魅力のひとつなのではないかとの感慨を得た。ああ、小劇場へ参じたい。


連載の柏倉康夫「生成するマラルメ23——本質的な言語、直接的な言語」細馬宏通「絵はがきの時代14——万博からの挨拶」も。


青土社 > 『ユリイカ』2005年7月号
http://www.seidosha.co.jp/eureka/200507/


シベリア少女鉄道
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ニブロール
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