現代思想第33巻第8号、2005年7月号(青土社、2005/06、amazon.co.jp


特集は「イメージ発生の科学——脳と創造性」


2005年02月号「脳科学の最前線」にひきつづいて脳関連の特集。前回も巻頭の対談は港千尋茂木健一郎の両氏で「イメージする脳」についての議論だった。今回は、その対談のテーマが特集となり、再び両氏が「創造する脳」というテーマで対談を行っている。


◆1:田中純「神経系イメージ学へ」


田中純『アビ・ヴァールブルク——記憶の迷宮』(青土社、2001/10)
田中純「神経系イメージ学へ」では、脳科学の知見を導入した美術研究の学「神経イメージ学」(Neuronale Bildwissenschaften)を検討にかけている。

神経系イメージ学においても課題となるのは、神経科学パラダイムの枠内で歴史をどう扱うかであるに違いない。クラウスベルクの『神経系美術史』のように美術史と科学史を並列的にすり合わせるのではなく、イメージに内在する論理によって歴史の時間性を問い直すことにこそ、その焦点はある。歴史の規範的な時間性を温存したままでは、神経系イメージ学はたかだか脳科学の知見に合致する事例を提供する図像カタログ作りに終わるか、科学史の補助にしかなりえないだろう。


実際、脳科学と美術を結びつけた何冊かの書物もあるが、私たちが美しいと感じる絵に接するとき、脳はどのように働いているかとかなど、美術作品が脳科学のサンプルのひとつとして扱われる、もしくは、そうした美術品に接するときの脳の働きという観点に議論が集中しがちであった(というか、脳科学の方法の方から考えるなら、それが妥当なアプローチであるだろう)。田中氏は、ヴァールブルク、ディディ=ユベルマン木村敏中井久夫らの知見を引きながら、人がイメージに向かいあうときに目の前にあるイメージのみならず、むしろそれを徴候ととらえたり、それが記憶への索引となったりすることで重層化するイメージの時間性(イメージに触発された主観的経験の時間性)を、美術の脳科学への還元の方向に対して提示している。

イメージを手がかりに人文知から脳科学へと介入し、こうしたイメージの誕生と死、発生と消滅のプロセスを見いだしうる徴候的な知へと脳科学の知見を大胆に変容させることこそを、神経系イメージ学の野心としなければならない。


心強い見識である。



Sous la direction de Catherine Malabou, PLASTICITÉ (Editions Léo Scheer, 2000)
◆2:カトリーヌ・マラブー可塑性〔プラスティシテ〕への願い」(桑田光平訳)


カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou, 1959- )のLe voeu de plasticité (in Plasticité, Editions Léo Scheer, 2000)の抄訳。


「可塑性(plasticité)」という言葉の多義性と哲学、芸術、神経生物学その他多方面での使用を検分しながら、それを概念に鍛え上げようという方向性が示される(同テクストは、「可塑性」をめぐるシンポジウムの記録『可塑性』の序論との由)。


心身問題〔mind-body problem〕を検討する妥当な方法のひとつは、自然性と志向性とを結びつけたり対峙させたりする弁証法的緊張を考慮すること、つまり、複雑な現実に生きている心に関心をもつのと同様に、自然性と志向性との間にも関心をもつことではないだろうか。哲学的に捉えなおされた可塑性〔プラスティシテ〕とは、まさにこの二つのものの間〔entre-deux〕を名指すものであろう。つまりそれは、精神的なものやノエシス的なものを無条件に神経的なものへ同化させることでも、基体、基盤あるいは、大脳皮質の現実がもつ可能性の条件といった単純な役割のなかに閉じ込もることでもない。


そして、その可塑性の概念を神経科学の枠組みに位置づけるためには、「痕跡」という問題設定が必要ではないか、という示唆が行われたところで終わる(瑣末なことになるが、同翻訳の註(1)の、L'Avenir de Hegel 刊行年が1966年となっているが、1996年の誤植と思われる)。


カトリーヌ・マラブー『わたしたちの脳をどうするか——ニューロサイエンスとグローバル資本主義』
最近邦訳が刊行されたマラブー氏の新著『わたしたちの脳をどうするか——ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(Que faire de notre cerveau ?)(桑田光平+増田文一朗訳、春秋社、2005/06[原書2004]、amazon.co.jp)や、まもなく邦訳が刊行されるヘーゲルの未来——可塑性・時間性・弁証法(西山雄二訳、未來社、2005/07)あるいは、まだ内容を見ていないが今年のはじめに刊行されたLa plasticité au soir de l'écriture: Dialectique, destruction, déconstruction (Léo Scheer)でも一貫して「可塑性」(マラブーによればヘーゲルに由来する)が鍵概念として用いられているようだ。本論文にひきつづき読み進めてみたいと思う。


なお、「[本]のメルマガ」vol.217.5 では、「臨時増刊号:カトリーヌ・マラブー初来日記念特集号」と題して、マラブー氏の略歴紹介、『わたしたちの脳をどうするか』の桑田光平+増田文一朗両氏の対話による解説、ヘーゲルの未来』の訳者・西山雄二氏による紹介など充実した内容なので、関心のある向きは参照されたい。


青土社 > 『現代思想』2005年7月号
 http://www.seidosha.co.jp/siso/200507/


⇒春秋社 > 『わたしたちの脳をどうするか』
 http://www.shunjusha.co.jp/book/32/32223.html


⇒未來社 > 『ヘーゲルの未来』
 http://www.miraisha.co.jp/cgi-local/link.cgi?isbn=ISBN4-624-01170-8


⇒[本]のメルマガ
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⇒ウラゲツ☆ブログ > 2005/06/30 > カトリーヌ・マラブー来日情報
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⇒Léo Scheer > Catherine Malabou (仏語)
 http://www.leoscheer.com/auteur.php3?id_mot=159