ユリイカ第37巻第8号、2005年08月号(青土社、2005/07、ISBN:4791701364


特集は「雑誌の黄金時代——紙上で見た夢 1969-2005」


四方田犬彦氏と坪内祐三氏の対談「雑文家渡世」は、雑誌の書き手であり、かつては編集にも携わっていた両氏が雑誌をめぐって縦横に薀蓄を傾け経験を語るもの。

四方田 こういう対談を『ユリイカ』では「徹底討議」っていうんですよね。ひょっとして『ユリイカ』が発明した言葉なんじゃないかな。


坪内 推察するに『ユリイカ』は一九六九年の創刊当初からお金がなかった(笑)。だから対談や座談会で三、四時間しゃべってもらって、ページ数を確保するというスタイルですね。

(同対談、冒頭より)


雑誌の台所事情はともかく、この「徹底討議」が同誌を手にとる愉しみの少なからぬ部分を占めていることは間違いない。



坪内氏といえば、今年のはじめに雑誌に関する雑誌連載をまとめた一冊『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮社、2005/02、amazon.co.jp)を上梓している。


⇒作品メモランダム > 2005/02/22 > 『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050222/p1


「三十代(ほぼ)編集長座談会——ラスト・オブ・マガジン?」は、『早稲田文学』の市川真人氏、『クイック・ジャパン』の森山裕之氏、『アイデア』の室賀清徳氏と、『ユリイカ』編集部による座談会。編集現場の状況がうかがえる貴重な機会。


ばるぼら氏による「現実なんてもう沢山!な人のための雑誌ガイド(問題篇)」は、普通の雑誌特集ではなかなかお目にかかれない雑誌のオンパレードで資料としてもありがたい仕事。


・絓秀実「「受動的革命」の地平——一九六八年と文芸雑誌」【文学】
加藤幹郎「バック・イッシュー的存在論——映画雑誌クロニクル」【映画】
・南田勝也価値増幅〔アンプリファイ〕装置としての音楽雑誌」【音楽】
・芝田隆広「週刊少年誌の浮き沈みから見る漫画雑誌の変遷——一九六九年以降」【漫画】


といった各ジャンル「雑誌の系譜学」の一環として、思想誌について寄稿させていただいた。


拙文は「投壜通信年代記——思想誌クロニクル1968-2005」と題して、日本思想誌史の一側面を概観する内容。

日本の思想誌の歴史をたどってみると、一九六〇年代末期から一九八〇年代にかけて、従来とは異なるタイプの思想誌が群生していることに気づく。簡単に言うと、雑誌のコンテンツである作品とその提供者である作者に対して、エディターシップとブックデザインがそれまで以上に存在感をもちはじめるのだ。


ここで思想誌と呼ぶのは、たとえば文学や自然科学などの特定専門分野を対象とするばかりでなく、哲学、文学、美術、音楽、映画、建築、科学、数学など、思想全般をジャンル横断的に対象とする雑誌である。誌名をあげれば、『パイデイア』『ユリイカ』『遊』『現代思想』『エピステーメー』『GS』『批評空間』その他の雑誌がこれに該当する。

(拙文冒頭より)


拙文はともかく、上記以外の記事を含め、なかなか読み応えのある雑誌特集ではないかと思う。また、本号から佐藤亜紀氏の新連載「小説のストラテジー」が始まっている。


*なお、拙文でとりあげた各雑誌の詳しい書誌は、拙サイト「哲学の劇場」にまとめている最中です。同サイトは、ここのところ更新を怠っていますが、近日中に更新を再開する予定です。


⇒哲劇メモ > 2005/07/11
 http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20050711/p1
 特集の主要目次を掲載


⇒哲学の劇場
 http://www.logico-philosophicus.net/


青土社
 http://www.seidosha.co.jp/