内田魯庵芭蕉庵桃青傳』柳田泉編、京都印書館、1945/11/01)


魯庵による芭蕉伝。研究書としては歴史的文献ということになるのかもしれないが、魯庵への関心という観点からは、以下に引く柳田泉の言葉にあるように興味深い一冊である。

此の『芭蕉傳』は、はゆる随筆家として知られた魯庵翁の著作としては、およそ風の変つたものである。それはなぜかといふと、この作は、いはゆる随筆には禁物とでもいひたい生まじめな情熱で一貫されてゐるからである。日本の文学を元禄に集め、元禄の文学を芭蕉に集め、その芭蕉のあらゆる点を景仰の心で描くことによつて文学に対する腹からの情熱といふものを、思ふ存分放射させた書である。魯庵翁の博識を知つてゐる人は多い。その浩聞を知つてゐる人も多い。また翁の皮肉を知つてゐる人、警句を耳にした人も頗る多い。その趣味、その通に服する人も、また頗る多い。然し、人間としての魯庵翁が、本来恐ろしく生まじめな情熱漢であつたのだといつたら、おそらく承知しない人の方が多いであらう。けれども、わたしの知る限り、この純一な、ひたむきな情熱漢といふのが、実は、わが魯庵翁の本色であつたのである。魯庵翁は、幅のひろい人であり、店の多い人であり、例へていふと、衆詣者に七面八面の異つた顔をしてみせる仏菩薩のやうなところがあつた。その為め翁の人格も、いろいろと解されることを免れなかつたやうに思はれる。また現にいろいろに解され、いろいろ評されてゐることをわたしなども知つてゐる。然しその七面八面の奥の本来の面相はといふと明るさを好み、正しきを愛し、清きにあこがれ、曲つたこと、汚いことが大きらひであり、それ故に腹の中から真の文学といふものに身も魂もうち込まざるを得なかつた情熱の人であつた。それを、その一斑をわたしどもはこの『芭蕉傳』によつて知ることが出来るのである。

柳田泉「序にかへて」より)


なお、同書には「芭蕉庵桃青傳」のほかに、「芭蕉後傳」(明治31年9月「太陽」所載)と「東花坊支考」(明治24年5月「国民の友」所載)が収録されている。奥付には「3000部、金8円」とある。