★フランツ・フェルディナントオーストリア皇太子の日本日記 明治二十六年夏の記録』(安藤勉訳、講談社学術文庫1725、講談社、2005/09、amazon.co.jp
 Franz Ferdinand, TAGEBUCH MEINER REISE UM DIE ERDE 1892-1893


オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントFranz Ferdinand, 1864-1914)が世界旅行の一環として立ち寄った日本滞在時の日記。


1914年6月28日、皇太子妃と共にサラエボで暗殺され、これを契機として第一次世界大戦が勃発したとされるいわゆる「サラエボ事件」の被害者として世界史の教科書に登場するため、名前だけはよく知られているのではなかろうか。


そのフェルディナントが、長崎、熊本、下関、宮島、京都、大阪、奈良、大津、岐阜、名古屋、宮ノ下、東京、日光、横浜をめぐった印象が記されている。たとえば、東京に滞在した8月20日の日記にはこう書いてある。

きょうまで行事が目白押しで、せっかく東京にいても商店を物色する機会がなかなか得られなかった。きょう、ようやく自由な時間がもてたから、当然、骨董店めぐりに当てた。市中に出て散歩するうち、この都市の途方もない大きさをいよいよ実感できた。が、一方で、これまで訪問してきた幾多の都市とくらべると、東京固有のものがないという第一印象だけはなお変わらなかった。どこに目をやろうと、ヨーロッパの断片がのさばっている。没趣味で、不統一だ。そのうえ、街路のなかには、長さが七キロにおよぶものもあり、疲れるばかりである。

(同書、185ページ)