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book ユリイカ 文化系女子カタログ 青土社 2005 book ユリイカ 文化系女子カタログ 青土社 2005



承前)今回の特集号にあらわれる、アカデミー(学問)、文学、エクスプロイテーション映画、おかんアート、バンド、女子オタ、アキバ系ガジェット、アニメ、ゲーム、お笑い、ジャニオタ、メガネ男子萌えといった対象は、ファッション、化粧品、ダイエット、旅行、家具、インテリア、映画、モテ、あたりをもっぱらのネタとする多くの女性雑誌ではあまりお目にかかることのないものばかり。


ここに集成されたサンプルは限られているけれど、それでも十分あなたの知らない世界の広がりを感じることができるだろう(もしここに並べられた領域のすべてに通じている人があったらそれはそれでたいへんなことではある)。


◆4:萌えのポイント/欲望のカタログ


4-1:ジャニヲタ道——バーチャルおかんへの道


もちろんどこから読んでもよいのだが、ウォーミングアップにおすすめしたいのは、松本美香氏の「ジャニヲタ天国?地獄変?」。古来アイドルに萌える女子の姿はTVや中学高校の教室などで見られるものだから、何かに萌えている女子の中でも身近な存在かもしれない。とはいえその内心にたぎる熱い想いまでは見えてこない。そんなこと言ったってアイドル好きといえば、単にかっこいい男子が好きなんじゃ? と思って済ませる人があるかどうかわからぬが、事がそんなに単純でないことは、ジャニヲタである苦楽をつづるこの文章を読めばたちどころにわかる。

そりゃね、ワシも中高生の頃は思ってましたよ。「光GENJIのかぁくんと結婚したい」って。毎日が脳内入籍ですよ。何回も「諸星美香」になりましたよ。せやけどな、もう違うんよ。そういうんじゃないねん。彼らと付き合いたいとか結婚したいとかそういうんじゃない。とにかく「見たい」のよ!


かといって、ただの面食いではない。

ジャニヲタの基本は「キャラ萌え」と言っても過言じゃないかも。ルックスを売りにしているはずのアイドルなのに本末転倒も甚だしいって話ですが、顔なんてあくまでも”釣り餌”みたいなもんやで。じゃないと今頃、(中略)のファンなんてゼロ!!(←こら☆)


妄想の恋でもなく、きれいな男子がいいのでもない。では萌えの神髄はどこにあるのかといえば。

気がつくと「バーチャルおかん」になっている。


ここに集約されていると見た。アイドルたちの成長を熱心に見守り心配し共に泣き共に喜ぶ。と言っても、そんな強引なまとめにはおさまりきらない欲望のハリケーンが荒れ狂っているのを読者諸子は見るだろう*1。自虐まみれギャグまみれで書き込まれたこの一文、ジャニヲタ入門としても秀逸。


⇒男大好き
 http://ht.sakura.ne.jp/~matsumo/
 松本さんのウェブサイト




4-2:メガネ男子——アイテムか人物か?


『メガネ男子』(アスペクト、2005/09)
男子を眺め愛でるという意味では、チョコラ氏の「キミトメガネニコイシテル——メガネ男子萌え現状認識」の複雑面妖な萌え方にも注目したい。

メガネフェチ女子は「メガネをかければ男前三割増!」と言いながら「だからって誰でもいいわけじゃないの」と言うワガママな生き物。その好みやこだわりはひとそれぞれだけど、女子の萌えパターンを独断と偏見と妄想全開で語ってしまいます。


当然のことながらメガネをかけていることは萌えの必要条件であっても十分条件ではない。たとえば、「メガネのプラスイメージ」として「知的」という要素があるけれど、実際に会話をしてみたら知的じゃなかったということは(至極当然のことながら)あるだろう。どうかするとメガネ=知的というイメージが、知的ではない人物の非知的さを強調してしまうことも考えられる。っていったい何の心配をしているのかわからなくなってきたが、ことによったらチョコラ氏の文章に触れて自覚されていなかったメガネ男子萌えに気づかされる女子が出てくるかもしれない。


⇒猛牛ママ
 http://mo-mama.com/
 チョコラさんのウェブログ


mixi > メガネ男子愛好会*2
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=2045
 ご覧になるにはmixiへの登録(要招待)が必要です。




4-3:アニメ・ゲーム——憧れるに足りる/足りない


さて、人物(アイドル)とモノ(メガネを伴った男子/メガネに伴われた男子?)という萌えの対象を見たところで、橘川友氏の「女の子の”希望”としてのアニメ、ゲーム」を理解する準備が整う(ンなこたァない?)。


いまや萌えの対象は人物やモノでさえない虚構、アニメやゲームの中の男子、である。

いつからか、少女マンガにリアル色が濃厚になっていくその一方で、男の子同士のカップリングを愉しむ「ボーイズラブ」に、失われたピュアな恋愛を投影する女の子が増えていった。そこには「少女マンガのような恋したい!」と願っては敗れてきた女の子たちの、理想としての「少女マンガ」、そして憧れるに足りない男子たちへのあきらめが見える。


リアル男子で萌えてられるか、という諦念からどこへ向かうか。アイドル(半虚構の男子)が候補のひとつなら、マンガ、アニメ、ゲームもまた候補になるだろう。上記のようなモチヴェーションに対して、ゲームはもっとも強力に応えるメディアかもしれない。


『金色のコルダ』(コーエー、2004/03)
女子向けゲームの嚆矢となったアンジェリークコーエー、1994、amazon.co.jp)というゲームがある。いわゆる恋愛シミュレーション・ゲームで、プレイヤーはゲームの主人公=アンジェリークとなって、ライバルのロザリアと女王の座をめぐって争う。女王になるための試験の準備(自己研鑽)がゲームの中心をなすのだが、この過程で9人の「守護聖さま」たちとの関係が築かれてゆく。最終的には女王の座をとるか、守護聖の誰かと恋愛を成就させるかという結末が待っている。


もし男子がこれをプレイしたら、「ぐがが、もしこれが求められている理想の男子像だとしたら、とてもじゃないが自分はこんな男子にはなれない」と思うこと必至(そういう意味では一度プレイしてみることをおすすめしたい)。とはいえ逆もまたそうで、男子向け美少女ゲームを女子がプレイすれば「こんな女子はいないし、無理だから」と一蹴するだろう。お互い様といってすむことではないが、萌えポイントを純粋培養することが許されるアニメ、ゲームの世界がなぜ「希望」なのか、橘川氏による同論考を参照されたい。ちなみにアンジェリークは「ネオロマンス」シリーズと銘打たれており、ここに写真を掲載した作品金色のコルダコーエー、2004/03、amazon.co.jp)は、同系列作品の第三弾。


⇒GAMECITY > ネオロマンス
 http://www.gamecity.ne.jp/neoromance/




4-4:やおい——抽象化の果てに


ここまで脱落せずについてくることが出来る読者なら、速水筒氏が「やおい」の極意(?)を案内してくれる「ひとでなしのゲーム」を読んだからとて動揺したりはしないだろう。念のために確認すれば——

男性同士の恋愛感情妄想のことを、ひとは「やおい」と呼ぶ。


永久保陽子『やおい小説論——女性のためのエロス表現』(専修大学出版局、2005/03)
男と男のカップリング(いわゆる「カプ」)に向けられてたやおいの萌えは、速水氏も指摘するようにつきつめると「関係性」に向けられている。

「森羅万象がやおいだ」とは友人の弁だが、たしかに理論上、やおいという枠組みで語れないものはなにもない。漫画や小説、アニメはもちろん、ドラマや映画、芸能人、有名人、街で見かけた二人組、女性(男体化される)、ちょっとした知り合いから親族、果ては会社や国や無機物や概念までがやおいの対象になっている。そこまでするのはやおい女のうちでも少数派ではあるが。


男同士の絡みという関係に基づいた物語の構造さえあれば、男Aと男Bには男でないものが入ってもいける、という次第。速水氏が戯画化したものだがと断りを入れながら書いているカレーとご飯(と福神漬けその他)などはその好例。

「カレーはあれだね、俺様攻めだね」「俺味に染めてやる!というね」「野菜も肉もどんどんきやがれというね」「シャツにはねて「ククク……俺のつけたあとはなかなか消えないぜ?」」「そっと見守る福神漬け」「ボク……あなたしか相手をしてくれるひとはいないんです」福神漬け片思い」「そんな福神漬けを見守るらっきょう」


——とこの五倍くらいある文章を思わず全文引き写しそうになるのだが、上記からその(文字通りの)「人でなし」ぶりがうかがえるだろう。




4-5:Palm——ガジェット愛


SONY PEG-SJ30 Xanadu
Palmタン! キミに決めたっ!」とデジタル・ガジェットへの愛を語るのは Palmのヘヴィーユーザー田上夢氏の「A-GIRL NEEDS A GADGET!!!〜アキバで会いたい〜」。いわゆる男子のメカいじりとは異なる愛を注ぐ田上氏は「現在絶賛愛用中」の PalmCLIE SJ30-Xanadu- (SONY) を手にいれたときの感激をこう語る。

……やっと現物を手にしたときは、うわーめちゃくちゃかわいい!と感激しました。私にとって初めてのカラー液晶 Palmだし、内蔵メモリは16MB! メモリースティックも使える!


この「!」のときめきは、性別を問わず共感する読者も多いかもしれない。とはいえ「16M」というメモリ容量にときめくにはそれ相応の資質(?)が必要である。


SONY > CLIÉ
 http://www.sony.jp/products/Consumer/PEG/PEG-SJ30/


——以上、文化系女子が萌えている現場からの報告をハイライトでお伝えした。こうした萌え/欲望のカタログ(の一部)に触れてはからずも気になったのは、萌え/欲望の対象がいまのように多種多様でなかった時代に、女子たちの萌え/欲望はどこへ向けられていたのか/いなかったのかということだ。ということは同誌の守備範囲を大きく超える問題なので別の機会に考えることにして、次に進もう。




◆5:オタクについて語ること、語らぬこと



ここで思うのは、なぜこれまでこのような文化系女子の欲望が語られる機会が少なかったのか、ということだ。もちろんインターネットや雑誌などでも細かく見てゆけば語られているのだが、雑誌一冊を丸ごと投じての特集となるとなかなかお目にかかることはない。それに対してたとえばオタク男子の趣味については何冊もの書籍が一般書店で入手できる形で刊行されている*3金巻ともこ氏の「女子オタ30年戦争」は、ユリイカ2005年08月臨時増刊号「オタクvsサブカル」(青土社)に女子のオタクが一人も参加していないという堀越英美氏の指摘に応じる形で、オタク女子の成立となぜ女子オタクが語られる機会が少ないのかを考察している。


社会的な要因(外因)と心理的な要因(内因)が語られているのだが、特に興味深いのは、次の指摘。

オタク女子は恥の概念が非常に強い。つまり彼女たちは常にオタク的趣味は隠すべきものだと思っている。これはちょっと考えてみれば当然のことで、オタク女子が好むものとして代表的な男と男の恋愛物語なんてものを、お日様の下でおおっぴらに語っていい訳がないという常識が彼女たちの中にはある。さらにその対象が芸能系など実在の人物であれば、なおさらだ。



ここで恥というのは現実の他者の眼を気にしてのものとは限らない。ありうる他者の眼を内面化した結果であって、このことはたとえばそうした他者の眼をほとんど気にしない(ように見える)オヤジが、衆人環視の電車の中でヌード・グラビアを眺めたり鼻クソをほじったりすることと対比させるとよくわかる。ここにササキバラゴウ氏が〈美少女〉の現代史講談社現代新書講談社、2004/05、amazon.co.jp)で指摘していたオタク男子における視線の一方向性を重ねて想起してみてもよいかもしれない。つまり、自分は美少女を一方的に眺める立場であって眺められることが念頭にないため外見を気にしないというわけだ*4。しかしおもしろいのはこの点になると、女子オタクも負けていないらしいということだ。

美人には限界があるが、不細工には限界がない。二次元に夢中になるあまり、現実の男性が目に入っていない彼女たちは現実の男性にモテる必要などないので、さらに不細工になっていく。または容貌について努力せず、私の内面を好きになってくれればいいといういつの時代の少女マンガかわからない勘違いをしている女子までいる始末。それはすでに結婚した女性がどんどん不細工になっていくのに似ているような気がする。


趣味の次元では他者の眼が気になる(からこそ秘められる)一方で、自分の外見という次元では他者の眼は気にならない。この見立てがどこまで一般化できるかわからないけれど、この「恥」の乖離具合が興味深い。


そうしたことをより詳しく知るためには、より多くの証言、より多くの資料が必要になるのだが、金巻氏も言うように語られることが少ない。「個人的な意見としては」と断りながら金巻氏はこう述べてもいる。

現代のオタク女子には自分たちの趣味を恥じることなく、ちゃんと自分たちの活動をアピールして欲しいと思っている。


ともかく趣味に邁進できればよい向きには余計なお世話に属することになるやもしれぬが、同時代の文化状況に関心のある者としては是非積極的に語ってもらえたらな、とこの言葉に触れながら改めて思う。また、波状言論F改』青土社)に収録された鼎談で東氏が述べていたことも思い出される。


オタクなんて消滅するかもしれない。(中略)これだけ巨大なサブカルチャーの遺産に対するちゃんとした分析的言説がないのは、後世とてもまずいことになると思う

東浩紀×斎藤環×小谷真理 鼎談「ポストモダン・オタク・セクシュアリティ」、前掲書、p.207)*5


それを行うのが当事者なのか研究者なのかという話しはあるけれど、文化的な流行は一年も経てば当事者でさえもそのときの気分を思い出せないことも多く、それだけにそうしたことを記述しておくのはなかなか喫緊の課題なのではないかとも思う。




前篇に続く後篇でメモランダムを終えようと思っていたのだが、たいしたことも書いていないのにことのほか長くなってしまった。今回のメモランダムを中篇として、残りは後篇で触れてみたい。


⇒作品メモランダム > 2005/10/29 > 地図を手に文化系女子のケモノ道を歩く(前篇)
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20051029


⇒作品メモランダム > 2005/08/08 > 仁義なき戦い——オタクvsサブカル
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050808


青土社 > 『ユリイカ』 > 2005年11月号
 http://www.seidosha.co.jp/eureka/200511/

*1:「バーチャルおかん」という感覚は、徹底討論「女の文化ケモノ道」における浜名氏の発言「自分が褒めずして誰が褒める、みたいなへんな指名感でやっていることってありますでしょ?」に通じるところがあるかもしれない。

*2:メンバー数9360人!(2005/11/11現在)

*3:オタク男子に関する書籍として、たとえば次のようなものが思い浮かぶ。斉藤環戦闘美少女の精神分析』(太田出版、2000/04、amazon.co.jp)、東浩紀『動物かするポストモダン——オタクから見た日本社会』(講談社現代新書講談社、2001/11、amazon.co.jp)、東浩紀編『網状言論F改——ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(青土社、2003/01、amazon.co.jp)、森川嘉一郎趣都の誕生——萌える都市アキハバラ』(幻冬舎、2003/02、amazon.co.jp)、大塚英志『「おたく」の精神史——一九八〇年代論』(講談社現代新書講談社、2004/02、amazon.co.jp)、ササキバラゴウ〈美少女〉の現代史——「萌え」とキャラクター』(講談社現代新書講談社、2004/05、amazon.co.jp)、吉田正高『二次元美少女論——オタクの女神想像史』(二見書房、2004/08、amazon.co.jp)、東浩紀編『美少女ゲームの臨界点』(波状言論、2004/08、http://www.hajou.org/hakagix/)、東浩紀編『美少女ゲームの臨界点+1』(波状言論、2004/12)、稲葉振一郎『オタクの遺伝子』(太田出版、2005/02、amazon.co.jp)、堀田純司萌え萌えジャパン』(講談社、2005/04、amazon.co.jp)、ササキバラゴウ編『「戦時下」のおたく』(角川書店、2005/10、amazon.co.jp)ほか

*4:余談になるけれど、アテネフランセやフィルムセンターに通いつめるシネフィル男子たちには、身なりに気をつかわない者が多く見受けられることも付記しておきたい。

*5:同書『波状言論F改』について、以前こんな風に書いたことがある。http://www.logico-philosophicus.net/hedonism/hedonism2003a.htm#20030319