伊達得夫『詩人たち ユリイカ抄』平凡社ライブラリー558、平凡社、2005/11/10、amazon.co.jp


『詩人たち ユリイカ抄』がこのたび平凡社ライブラリーから再刊された。本書は、1948年(昭和23年)に書肆ユリイカを興した伊達得夫(だて・とくお, 1920-1961)の没後に編まれた遺稿集で、編集者であった伊達が折りにふれて書いた文章を集成したもの。大岡信氏の解説によれば、本書ははじめ昭和37年(1962年)に伊達得夫遺稿集刊行会によって非売品として刊行され、その後、1971年に日本エディタースクール出版部から再刊されている。平凡社ライブラリーは、この日本エディタースクール出版部版を親本としている。


小田久郎『戦後詩壇私史』(新潮社、1995/02)
日本戦後詩史を繙くと、必ずといってよいほどこの伊達得夫の名前にいきあたる。それもそのはず、『戦後詩人全集』『現代フランス詩人集』『現代詩全集』ほか、ロートレアモン、ロルカ、足穂(彼は小説家だが)の作品集、中村稔、中村慎一郎、飯島耕一山本太郎辻井喬、安東次男、入沢康夫岸田衿子、多田智満子……と挙げてゆけばきりもないが、1948年の起業から1961年の死で中断されるまでのわずか13年のあいだに、伊達は書肆ユリイカから多数の詩集や詩論を世に送り出している。


また、1956年には詩誌ユリイカを創刊。同誌もまた伊達の死とともに終刊を余儀なくされるが、伊達の手によって詩集を刊行した清水康夫が衣鉢を継いで青土社を興し、今日まで続く第二次ユリイカとして復刊を果たしている。


書肆の屋号、そして誌名に選ばれた「ユリイカ」について、伊達がこんな逸話を紹介している。


エドガー・アラン・ポオ『詩と詩論』(創元推理文庫Fホ−1−5、東京創元社、1979/11)

早稲田大学の坂を下りたところに、有名な焼鳥屋があった。その店のオヤジは胸まで垂れるアゴヒゲを持っていたので、通称ひげのおやじと呼ばれていたが、ぼくは作家稲垣足穂と、その店で焼酎のコップを前にしていた。


そのとき、かれが言ったのだ。ポオの『ユリイカ』を知っているか。ポオは原稿を書いても誰も買ってくれなかったから、場末の酒場で浮浪者を集めて、自分の原稿を読んで聞かせたのだ。誰も聞いてる奴はいなかった。またあの気狂い奴がしゃべってる、と人は思っていた。その原稿が、「ユリイカ」だった。アメリカにも、やっぱり、あんたみたいな編集者がいて、その「ユリイカ」を本にしてやった。しかし、二部、ほんとうに二部しか売れなかった。首をつって死んだ牧野がそれを訳して第一書房から出したが、日本でもやっぱり売れなかったろう。「ユリイカ」の意味知ってるか。「余は発見せり」という意味だ。ギリシャ語だね。アルキメデスが、比重の原理を発見したとき、ほら、風呂に入って水がざあとあふれるのを見て、しめた、と言ってとび出したろう。うれしさのあまり、アテネの町をすっぱだかで走りながら、「ユリイカ!」「ユリイカ!」と叫んだというな*1。ほほほ。かつてモダニズム派の惑星であったこの作家は、鼻めがねを、掛けたりはずしたりしながら、アルコール中毒らしい、もつれた舌で、そう語ってくれたのだが、それがほんの数日前のことだった――。

(同書、pp.15-16)


原口銃三『二十歳のエチュード』
伊達は、書肆ユリイカをはじめるにあたって、以前勤めていた出版社で刊行した原口銃三の遺稿集『二十歳のエチュード(先頃ちくま文庫に収録された)のほか、足穂のヰタ・マキニカリスを刊行した。足穂とのつきあいはつづき、後には稲垣足穂全集』(1958-1960)全16巻の刊行を計画している(未完に終わった)。


足穂は、出版人としての伊達をこんな風に書き留めている。

伊達は京大独文科出身だけあって、装幀より造本に力を入れるというやり方であった。こんな出版はみんな売れた所で、刊行者にはお金の方はマイナスであろう。だから私も印税やPRなど問題ではなく、二、三部貰ったら結構だと思っていた。

(「「ヰタ・マキニカリス」註解」)


稲垣足穂『ヰタ・マキニカリス(下)』(ちくま文庫)
今回復刊された平凡社ライブラリー版の口絵に、書肆ユリイカの刊行書の書影が掲載されている。足穂が言うほど装幀はおろそかだろうか、などと思ったのだが、考えてみればこれはヰタ・マキニカリスを含む伊達の最初期の仕事についてのコメントなのだろう。伊達本人もヰタ・マキニカリス刊行の経緯に触れてこう述べている。

かれ〔足穂——引用者註〕はこの本をたいへん喜んでくれた。素人くさい造本で、いま考えるとはずかしいような本だけれども、仙花紙はなやかな当時の店頭では、豪華なものに属していた。日本一の出版家だ。これは世界的な出版です、と言ってくれたが、あまり大げさすぎてほめられたような気にならなかった。そして、かれはその世界的な本に、さらさらと署名して、その場で下宿の女中に謹呈した。

(『詩人たち ユリイカ抄』、p.34)


と、追ってゆけばきりもないのだが、この小さな書物のなかに、戦後日本出版史の一幕を垣間見る愉しみがつまっている。出版史、詩史、足穂に関心のある読者には見逃せない復刊である。


巻末には、書肆ユリイカの「出版総目録」も併載されている。


伊達得夫については、長谷川郁夫『われ発見せり 書肆ユリイカ伊達得夫(書肆山田、1992/06)、安岡章太郎『日本の名随筆 81 友』作品社、1989/07、amazon.co.jp)所収の那珂太郎「伊達得夫のこと」、『文化の仕掛人青土社、1985)などが参考になる。


平凡社
 http://www.heibonsha.co.jp/


青土社 > 『ユリイカ
 http://www.seidosha.co.jp/index.html


⇒書肆山田
 http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/


松岡正剛の千夜千冊 > 第七百六十六夜【0766】2003年05月02日
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0766.html
 『文化の仕掛人』を俎上にのせている。


火星の庭 > 書肆ユリイカの本
 http://www.kaseinoniwa.com/cafe/eureka/rensai.html
 田中栞さんによる書肆ユリイカをめぐる文章。

*1:「ευρηκα!(余は発見せり!)は、動詞ευρισκωの一人称単数現在完了形。読み方にはいくつかの流儀があると思われるが、ヘウレーカ、ヒュレーカとなるだろうか。