読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

news work ビジスタ・ニュース John R. Searle MiND 朝日出版社 哲学 心の哲学 news work ビジスタ・ニュース John R. Searle MiND 朝日出版社 哲学 心の哲学



このたびサールの『MiND——心の哲学朝日出版社、2006/03、amazon.co.jpを翻訳してみて、あらためて哲学用語の訳語について考えさせられた。特に今回の本は「心の哲学書」の入門書ということもあって、読み手が用語につまづいてしまうのは避けたい。されど訳語にも一定の歴史があり無闇に異なる訳語を選ぶわけにもいかない。結局のところ、伝統的な訳語に敬意をはらい、なるべく訳註で説明を加えるという無難といえば無難な方針に落ち着いた。


おもしろいのは、翻訳をしていると原語はもちろんだけれど、かえって訳語の日本語をめぐって考えさせられることも多いということだ。たとえば"idea"を「観念」と訳すとして、この「観念」という言葉はいったいどこから出てきたのか。もともとこれを"idea"に当てようと考えた先哲はどういう意図でそうしたのか、などなど(「観念」は西周が仏典からもってきたと言われている)。


——といったことを、ソフトバンククリエイティブ編集部からのお誘いで、相棒・吉川浩満とともにビジスタ・ニュース」に書かせていただいた。


山本貴光吉川浩満「哲学書翻訳顛末記――噛み砕けないコトバたち/ホンヤクのコンニャク(『週刊ビジスタニュース』、2006.3.22、ソフトバンククリエイティブ


拙稿はともかくとして、同メルマガは「一歩先を行くビジネスパーソンにぴったり」とのことだが、山形浩生さんの連載をはじめ、ビジネスパーソンではない小生のような読者にもおおいに楽しめる内容になっている。


ソフトバンククリエイティブ > こちら第2編集部隊
 http://www.sbpnet.jp/bisista/mail/


⇒哲劇メモ > 2006/03/22 > 登場☆週刊ビジスタニュース
 http://d.hatena.ne.jp/clinamen/20060322/p1



ところで西洋哲学の訳語には、明治期に創意工夫されたものが多い。一方では西洋式の近代化に追いつこうと実利にウェイトを置いた諸学の文書・書物をせっせと翻訳し、他方では小説や詩をどんどん翻訳・翻案するということが推し進められ、現在も広く使われているあれこれの言葉が鋳造されたわけだが、手本もろくすっぽないなかで(もちろん明治以前から翻訳はあったのだが)、彼/彼女たちはどのように翻訳を進めたのか。ここには興味深く考えさせられるエピソードがたくさんある。


例えば、ロシア文学の翻訳者でもある二葉亭四迷「余が翻訳の標準」という文章のなかで、翻訳の苦労について述べている。

意味ばかりを考へて、これに重きを置くと原文をこはす虞がある。須らく原文の音調を呑み込んで、それを移すやうにせねばならぬと、かう自分は信じていたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つコンマが三つといふ風にして、原文の調子を移さうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏へに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労したのだが、さて実際はなかなか思ふやうに行かぬ。


この方針は世間の評判が悪く、褒めるものもあったけれど具体的になにがどうよいのかを教えてくれぬから参考にならず、かといって貶すものも同様でなにがどう悪いのかを言わないものだから啓発されることもない。そうこぼす二葉亭の真意はといえば——


いはば、自分で独り角力を取つてゐたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしてゐたのである。といふのは、文学に対する尊敬の念が強かつたので、例へばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これを翻訳するにも同様に神聖でなければならぬ。就ては、一字一句と雖も、大切にせなければならぬやうに信じたのである。


との由。「一字一句と雖も」おろそかにしないという姿勢、一見ただの逐語訳かとも見えるが、むしろ原作者がなぜそのように言葉を選び並べたのか、その意図を忖度するということであり、ただ字面の意味を日本語に直すというのとは違う観点である。イタリア文学の翻訳者でもある和田忠彦氏のそれ自体たいへん面白い翻訳論書のタイトルを借りて言えば、ここで二葉亭が目指そうとしたのは「声、意味ではなく」ということなのだろう。


青空文庫 > 二葉亭四迷 > 「余が翻訳の標準」
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/card384.html



そうした事情の一端を垣間見させてくれる書物はたくさんあるけれど、手軽に読めるところでは、丸山眞男加藤周一『翻訳と日本の近代』岩波新書岩波書店、1998/10、amazon.co.jpなどは、「なにをどのように訳したか?」という問題を通じて日本の「近代化」を考察しており教えられるところが多い。また、鴻巣友季子『明治大正翻訳ワンダーランド』新潮新書、新潮社、2005/10、amazon.co.jpを繙けば、黒岩涙香の「超訳」をはじめ、小説を中心とした翻訳者たちの奮闘大活躍ぶりがユーモラスに紹介されている。もすこしモノグラフ的なものとしては、長島要一森鴎外——文化の翻訳者』岩波新書岩波書店、2005/10、amazon.co.jpが、精力的に翻訳もこなした鴎外の仕事に占める翻訳の位置を分析している。


翻訳事情にかんする書物にはどうにも愉快なものが多いので、そのうち拙サイト「哲学の劇場」あたりにブックガイド風にまとめてみたいと思う。



翻訳つながりに過ぎないけれど、最近刊行された翻訳関連の書物をいくつか。現代海外文学の逸品を矢継ぎ早に邦訳刊行してくださる柴田元幸さんの東大文学部での翻訳演習講義『翻訳教室——Lectures on Literary Translation from English to Japanese』新書館、2006/02、amazon.co.jpが、学生やゲストの村上春樹氏、ジェイ・ルービン氏とのやりとりも交えて再現されており楽しい一冊。また、SF作品の翻訳で(一読者として)お世話になっている大森望さんの『特盛! SF翻訳講座 翻訳のウラ技、業界のウラ話』(研究社、200/03、amazon.co.jpも翻訳が気になる向きには勧めたい一冊。「翻訳のウラ技」、サールを訳す前に教えて欲しかった!


また、岩波書店『図書』2006年3月号、第683号には、中務哲郎氏による古典ギリシア語翻訳談義「翻訳における不公平について」や、堀江敏幸氏による翻訳をめぐるエッセイ「うっそりと」が掲載されている。


*以下は、拙ウェブログで言及した翻訳論のエントリー。


⇒作品メモランダム > 2004/12/21 > 工藤幸雄『ぼくの翻訳人生』(中公新書
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20041221/p2


⇒作品メモランダム > 2005/07/09 > 川口喬一『昭和初年の『ユリシーズ』』(みすず書房
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050709/p1


⇒作品メモランダム > 2005/04/21 > 柳父章『近代日本語の思想——翻訳文体成立事情』(法政大学出版局
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050421/p1


⇒作品メモランダムを「翻訳」で検索
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/searchdiary?word=%cb%dd%cc%f5