相棒・吉川浩満id:clinamen)とともに、ソフトバンククリエイティブの第2書籍編集部が発行するメールマガジン「週刊ビジスタニュース」2006年10月04日号に「極上翻訳エッセイ——読書へのアペリティフ寄稿しました。


同号には、速水健朗さん(id:gotanda6)の団塊と映画とテレビの50年史」も掲載されています。


上記拙文のタイトルだけを読むとなにやら紛らわしくもありますが、けっして「極上翻訳エッセイ」を自称しているわけではありませんで、「極上におもしろい翻訳にまつわるエッセイを三冊ほどご紹介しますね」を省略したものであります。



翻訳といえば、新潮社の創業者・佐藤義亮(さとう・よしすけ〔ぎりょう〕, 1878-1951)が、往時をふりかえった一文「出版おもいで話」が思い出されます。これは、若くして新声社を興し、後に新潮社を創業した佐藤による出版事業回想録で、そのなかに翻訳にまつわるこんなエピソードがあるのです。


ときは昭和2年(1927)。前年の暮に改造社が、『現代日本文学全集』が刊行を開始(第一回配本は「尾崎紅葉集」)。これが大いにうけて、いわゆる円本熱(定価1円)が澎湃としてわき起こります。


新潮社も、『世界文学全集』(1927-1932)を企画。『東京朝日新聞で二面広告を打ち、街頭宣伝隊、宣伝トラック隊を動員しての一大広告作戦(その様子は、「出版おもいで話」を収録した『出版巨人創業物語』の写真で垣間見ることができます)。


これが効を奏したのか、佐藤によれば、広告を出した1月30日からおよそ2ヶ月後の3月1日までの間に、なんと58万の講読予約が殺到したとのこと。佐藤の回顧をすこし読んでみましょう。

それからの私の仕事は大変だった。翻訳の内容の検討にかかったからである。由来、翻訳物は生硬で読みにくいというので、大衆は近づこうとしなかった。然るに今翻訳文学は六十万の大衆をち得たのである。この際、依然として生硬のそしりあるものを提供するようなことがあってはならない。文学の名の下に、読んで何のことか分からぬようなものを売るは、明かに出版罪悪だ。原作を正しく、歪まずに邦語に移すべきことは勿論だが、それと共に「読んで分る翻訳」でなければならぬという建前から、私は全部の校正をやることを決心し、一字一句に亙って検討した。訳文が立派で、一気に読めるものも多かったが、難解なものも相当にある。そういうのは訳者に来てもらって、夜の一時二時までも研究しあい、折角出来た版を訂正又訂正で、十何回も組みかえたりした。盛名ある訳者としては、可なり自尊心を傷つけられることだったろうが、それでも厭な顔をせず改訳に務められたことは有難かった。中には、話がどうも折りあわないので、一万円を呈して原稿を返したものもあった。


慶應義塾に出版展覧会というのが始まった時、全集の校正刷りを出品した。これを見た人は、翻訳出版が、どんなに難事業であるかを悟られたようだった。

(『出版巨人創業物語』、書肆心水、2005/12、pp.90-91)


愚生などは、まだ一冊か二冊を翻訳した身に過ぎませんが(であればこそ?)、まことに身につまされるとともに、なぜかちょっぴりほっとするエピソードであります。


上記メールマガジンでは、最近刊行された3冊の翻訳関連書をご紹介しています。(個人的な関心のせいかもしれませんが)翻訳にまつわる本には面白いものがあれこれあるので、そのうち拙ウェブサイト(哲学の劇場)にでも作品ガイドを書いてみようと思います。とまた風呂敷だけ広げるのでありました。


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