ディアスポラ/コードのあわいから創発する出来事


「2006年の印象に残った書物」に追記したものと同じ内容です。同エントリーがやたらと長くなって更新箇所が埋もれがちなので、追記分を別途掲載する次第。



グレッグ・イーガンディアスポラ山岸真訳、ハヤカワ文庫SF1531、早川書房、2005/09、ISBN:4150115311
 Greg Egan, DIASPORA(1997, ISBN:1857984390)


もう20年前のことだけれど、ウィリアム・ギブスンニューロマンサーISBN:415010672X)をはじめて読んだとき、そこにたちあらわれる未知の世界に投げ込まれて、くらくらと強烈な眩暈に襲われたことをいまでも覚えている。なにが起きようとしているのか、にわかにはわからないまま、しかし、なにかこれまでに体験したことのないことが目の前で展開しつつあるという感覚が、ページを繰る手の原動力だった。


本書ディアスポラの最初の数ページを目にしたとき、ニューロマンサーの読書経験にも似た眩暈に襲われてぞくぞくとした。この感覚は、それから数度読み直すなかでもまったく失われていない。



しばしばミステリ小説では、ページが進むにつれて積み上げられてきた証拠や登場人物たちの経験や言葉が、探偵によって提示されたものの見方一つで、がらりとその意味を変えてしまうという場面が描かれる。探偵の一言によって、それまで読んできた少なからぬページの内容が、その直前までとはまったく異なる意味をもつこの感覚は、しばしば「どんでん返し」と呼ばれるものだ。ディアスポラの冒頭十数ページは、この意味の読み替えが絶えず生じているような状態、小さなどんでん返しが次々と生じている状態なのではないかと思う。


あとからあらわれる記述によって、それまで不明瞭だった言葉に新たな意味が見えてくる。次の一文でまた更新され、その次の文でさらに更新され……。いや、もちろん文章が線状に書かれる以上は、どのような文章においても、多かれ少なかれこうした現象は起きているのだろう。しかし、イーガンのこの小説は、積極的にこの方法を採っており、その濃度は尋常ではない。


もちろんそれには理由がある。(これは邦訳の裏表紙に書いてあるレヴェルのことなのでネタバレにならないと思うが)小説の冒頭からしばらくのあいだひたすら記述されているのは、あるソフトウェア内で〈人格〉が起動し、つぎつぎと外部の状況とインタラクションしながら内部の構成を組み替え生成していくそのさまなのである。



作家は、このソフトウェアが起動する様子を、淡々と、まるで登場人物の内心を描写するかのように記述していくのだ。そう、順列都市その他のイーガン作品になじみのある読者なら、身体から分離した精神、コピーされ、ダウンロードされ、プログラムとして実行される人格をめぐる記述が目の前で精密に展開していることに気づくかもしれない。イーガン初体験の読者は、ひょっとしたらただただとまどうかもしれない(だが、意味がわからず放り投げてしまいそうな場合、訳者も示唆しているように、わからないところを飛ばし読むべし、だ。『指輪物語』の冒頭で挫折するのがもったいないのと似たような意味で。人格が生成される過程を過ぎれば、むしろ今度は読みさすのが難しいだろう)。


それにしても毎度のことながら、いったいどうしたらこの作家は、ロジックと電子の流れが形成する無味乾燥なコンピュータのなかに、このように人の気を惹いてやまない科学的空想世界の綺想を創出できるのかと不思議でならない。それはまるで、数十行のプログラムからあたかも生物の行動をおもわせるようなふるまいが〈創発〉するソフトウェアを見ているような気分でもある。じつはグレッグ・イーガンなどという作家(肉体人=本書に登場するいわゆる身体をもった人間)はおらず、オーストラリアにあるサーバからこれらの物語がつむぎだされているのではないか、思わずそんな空想も誘われるのだった。


イーガンの次回作は、2008年に刊行が予定されているIncandescenceのようだ。待ち遠しい。


⇒Greg Egan's Home Page(英語)
 http://gregegan.customer.netspace.net.au/


ハヤカワ・オンライン
 http://www.hayakawa-online.co.jp/