読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

芸術と科学の対話/折衝



バルテュス+セミール・ゼキ『芸術と脳科学の対話——バルテュスとゼキによる本質的なものの探求』(桑田光平訳、青土社、2007/05、ISBN:4791763394
 Balthus + Semir Zeki, Quête de l'essentiel (Les Belles Lettres/Archimbaud, 1995)


なんともかみ合わない対話があったものだ。というよりも、二人の人物が向かい合いながらてんで勝手にしゃべっているのではないかと思うくらい、この二人の会話はすれ違い、誤解しあい、ぶつかりあっている。「この二人」とは、画家のバルテュス(Balthus [バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ], 1908-2001)と脳科学者のセミール・ゼキ(Semir Zeki)のこと。



邦訳の書名にあるように、本書は画家と脳科学者による「芸術と脳科学の対話」の試みである。ゼキは、近年「神経美学」とも呼ばれる領域について脳科学のほうから研究を重ねる科学者で、美術についての造詣も深いようだ。その仕事については、すでに『脳は美をいかに感じるか——ピカソやモネが見た世界』日本経済新聞社、2002、ISBN:4532149606『脳のヴィジョン』(医学書院、1995、ISBN:4260117920が邦訳されている。


これらの論考では、美術作品を脳科学の観点から考察していくわけだが、そのさい人間の脳に備わった一般的な機能、例えば生成流転する環境から同一性を見出す能力が美術作品にどのようにあらわれているか/いないかといったことが研究の対象となる。この美術作品への科学的なアプローチ自体、まだ端緒についたところといってよい初歩的な状態だが、今後の脳科学による脳の解明が進むにつれて、この分野も新たな知見をもたらしてくれるにちがいない。そういう意味で楽しみな領域である。


さてこのような関心からゼキは、バルテュスに問いを投げかける。つまり、画家は絶え間なく変化する世界のなかに、ある不変のものを見出し、これを抽出し、かたちを与えているのではないか。それは脳に備わったしくみによるものであり、だからそれをうまく表現しえた芸術作品には普遍性が宿る。絵とはそういうものではないか、と。


だがバルテュスは同意しない。問い返し、話題を替え、否定する。

S.Z.——生理学者であるわたしには画家が言うことを理解するのはなかなか難しいですね。


B.K.——画家が言うことは概していかなる意味ももっていません。彼らはしばしば大変もったいぶっているのですが、その結果には失望させられます。


S.Z.——あたなと意思の疎通を図るのはとても難しいのですが、それでも、あなたの絵は脳を支配する諸法則にしたがっているのであり、あなたの脳はわたしの脳と同じものなのです。


B.K.——わたしは自分の絵については決して語りません。絵画とは、他の言葉で表現することができない言語活動なのです。


S.Z.——言語活動は、脳のある特定の部分によって決定されているのです。


B.K.——ほら、またしてもあなたは脳に戻るわけですね。わたしたちはロンドンで猿が描いた絵を見ました。あの作品もまた、ギャラリーに展示されている多くの絵と同様に価値のあるものです。


S.Z.——脳がもっている機能に関心はありますか?


B.K.——いいえ、そうしたことに関心をもつと混乱してしまうでしょう。

(同書pp.24-25)



「対話」は始終この調子で進んでいく。この書物だけを読むと、インタヴュー嫌いで知られるバルテュスがことさら頑固に見えるかもしれない。だが、たとえばコスタンツォ・コスタンティーニによるインタヴューバルテュスとの対話(Conversations avec Balthus)』(北代美和子訳、白水社、2003〔原書は2001〕、ISBN:4560038929を読むと、わたしたちはそこにくつろいで饒舌なバルテュスの姿を見るはずだ。


この「対話」のちぐはぐさは、言ってしまえば対象の一般的な把握を目指す科学と、そのつどただひとつの作品をつくりだす芸術とが、同じ絵画というものをめぐって異なる方向から見ていることに起因しているのだろう。だが「科学と芸術とでは絵の見方もちがいますね」と言ってしまえば一行で(ただしなんの実りもなく)済んでしまいそうな事柄をめぐって、両者は齟齬に齟齬を重ねていくのだから面白い。


ときに漫才のような可笑しさを呈しながら芸術とはなにかとうい問いをめぐるこの対話は、「実際のところ、あらゆる芸術的な努力とは、脳の巧みな能力の実験なのです。芸術家たちがそのことを理解してくれればと思います!」(p.129)、「たいへんなお願いがあります。あなたが制作されたものはすべて脳の法則に基いたものだということをお認めになってください」(p.134)といったゼキの懇願からも垣間見えるように、どこまでも不協和音を発しつづける。


そらみたことか、だから異分野の対話なんていうものは無駄ことなのです、と思う読者もあるかもしれない。だが、予定調和的に益体もない落としどころに落ち着いて済んでしまう対話などよりも、よほどスリリングで啓発的な議論がここにはある。第一なによりもこの対話の醍醐味は、絶えず飛び散る齟齬の火花によって、双方の位置と姿勢が否応なく照らし出されるところにあるのだから。


双風舎のウェブサイトで、精神科医の斎藤環さんと脳科学者の茂木健一郎さんの脳科学をめぐる往復書簡が始まっている。本書にことよせて言えば、さしずめ茂木さんがバルテュスで斎藤さんがゼキという配役だろうか。こちらもどうなるのか大変楽しみな企画である。


青土社 > バルテュス+セミール・ゼキ『芸術と脳科学の対話』
 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B7%DD%BD%D1%A4%C8%C7%BE%B2%CA%B3%D8%A4%CE%C2%D0%CF%C3


⇒Fondation Balthus(仏英日)
 http://www.fondation-balthus.com/


Wikipedia > Balthus(英語)
 http://en.wikipedia.org/wiki/Balthus


⇒Institute of Neuroesthetics(英語)
 http://www.neuroesthetics.org/
 神経美学研究所ウェブサイト


Wikipedia > Semir Zeki(英語)
 http://en.wikipedia.org/wiki/Semir_Zeki


双風舎 > 連載「脳は心を記述できるのか」
 http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/
 斎藤環さんと茂木健一郎さんの往復書簡企画