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私は世界の果てからネクタイを取替えに来た

book 稲垣足穂 足穂拾遺物語 青土社 2008


全集や大全ということばが好きだ。


なにやらそこには、作家なら作家の全業がひとつのミクロコスモスとして封じ込められているかのような響きがある、ように思う。


しかし、かつていくつかの全集を読み始めたころにようやく気づいたのは、それが厳密な意味での全集ではないということだった。というよりも、そのような完全なる全集を編むということ自体が、ほとんど不可能事に近いということを、そのときようやく思い知ったのだった。


一人の作家が生涯にわたって書いたものを、どこまで「作品」と考えるのか。断簡零墨にいたるまでといっても、作家が構想や思いつきを書きつけた小さな走り書きや、私的な書簡まで入れるかどうかといえば、判断がわかれるところだろう。


また、そうでなくても作家が折々の注文に応じてあちこちに書いたものや、書いたのはよかったけれど注文主の都合でお蔵となったもの、作家が書きながら筐底に秘したものなど、その後書籍のかたちでまとまって刊行されず、年月が過ぎ、やがて忘れられていくものもあって、それらを探すと思っただけでも気が遠くなる。


古い雑誌や本を見ていると、「こんな人がこんなところに?」と思うような原稿に出会うことがある。なかには書いたほうも忘れてしまうものだってあるにちがいない。


そう思うと、全集にすべての作物を蒐集するということは、実質上不可能に近いと考えざるを得ない。いや、執念で資料を集め続けることはできるのだが、「これでもう完全。これ以上は出てくるはずはない」と判断することができない、常に理念としてしかありえない完全資料体へと漸近してゆくのみ、と言ったほうがよいだろうか。


だから、古書店や図書館などで、見たことのない本や雑誌(もちろん、圧倒的に見たことがないもののほうが膨大なのだが)に出会うつど、脳裏にあるいくつかの名前がそこに見出せるのではないかしらと、ついついページを繰ってしまう。


しかし、それにしても、稲垣足穂(1900‐1977)ほど追跡の難しい作家もいないのではないか。


なにしろ、作家自らが言ってはばからないように、彼は作品に手を入れ続ける人だった。おかげで、或る作品を読もうと思ったら、無数に分岐してゆく平行宇宙のようなヴァリアント群を、どうしたって見ないわけにはいかないという気持ちをおおいにそそられるのである。この「差異と反復」の作家をどうしたら追跡できるというのだろうか。


だから、20世紀と21世紀にまたがって稲垣足穂全集』(筑摩書房)が刊行されたとき、よろこんで読んだ。うれしさ半分、複雑な気持ち半分を抱きながら。なぜなら、この労作の、有限の紙幅のうちに集積された作品群は、同時にその集積に含まれていない、しかしどこかに存在するかもしれない作品をも、読者の脳裏に思い描かせるものだから。



このたび刊行された『足穂拾遺物語』高橋信行編、青土社、2008、ISBN:4791763416)は、文字通り先の全集に対する拾遺となっている。同全集刊行後、そしてユリイカ増刊 総特集稲垣足穂青土社、2006、ISBN:4791701526、拾遺)に掲載された「新発見作品10篇」以外で発見された未収録作品(2007年12月現在)101篇+オマケ2篇を集め、180ページに及ぶ改題と校異をつけた書物である。


数字で101と書けば、その凄まじさが伝わらないかもしれないが、これら1篇々々が発見された初出媒体(雑誌・新聞など)を見ると、なぜこのような書物が編めたのか、まったくわけがわからなくなること請け合いだ。『漫談』、『牧歌調』、『スタイル』、『三越』、『婦人グラフ』、『政界往来』、『こくみん二年生』、『日本歌人』、『文芸展望』、『食道楽』、『科学知識』……と適当に拾ってみるだけでも、リソースの多様さが垣間見えるだろう。これらは現在、読みたいと思ったとしても、必ずしも簡単にアクセスできるものばかりではない。


もちろん、できあがった書物を読むとき、そこに注がれた労力の多寡そのものは、どちらでもよいことであるかもしれない。けれども、やはり書物雑誌の大海から、水滴のような小品を、ひとつひとつ見つけ出し、手にとり、このようなかたちに具現化した過程を想像すると、編者やここに携わった人びとの熱量に思いを馳せずにはいられない。


しかも、この書物全体がスペードのエース(A!)として提示されている。本書は101枚の古くて新たなカードであり、本書を手にする者は、稲垣足穂全集』を、脳裏に棲まう足穂像をre-shuffleし、ひいては知らず識らずのうちに凝固してしまいがちな日本・文学・史観をも否応なく「脳内シャッフル革命」(町田康)する/されるというわけだ。


このように、「詩人対地球」の果てのないアルゴリズミックな言語の格闘に触れる好機が、ハレー彗星のように再来中である。書店へ急がれよ*1


序文=萩原幸子/校訂+編集協力=高橋孝次/改題執筆=高橋信行、高橋孝次、小野高裕、大崎啓造、金光寛峯/資料提供=高橋信行、加藤仁、金光寛峯、萩原幸子、高橋孝次、小野高裕、大坂透、和田博文、佐藤周、扉野良人郡淳一郎/編集=郡淳一郎/入力=荻原玲子/校正=木村カナ組版校正=前田年昭/書容設計=羽良多平吉


青土社 > 『足穂拾遺物語』
 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C2%AD%CA%E6%BD%A6%B0%E4%CA%AA%B8%EC


⇒イナガキ・タルホ・スタディーズ
 http://www.nexyzbb.ne.jp/~koji/
 高橋孝次氏が運営する足穂研究サイト。


⇒daydreambeliever > 『足穂拾遺物語』ライヴ・ツアー in KIOTO
 http://d.hatena.ne.jp/cachamai/20080317
 校正を担当した木村カナさんのブログ。

*1:Amazon.co.jpではすでに品切れの模様。