モノとして限られていることの可能性



明治から戦前までの日本における雑誌の歴史を見せる企画展。


慶應3年(1867)の『西洋雑誌』から始まって、昭和8年(1933)の『婦人倶楽部』第14巻第4号まで、150点を超える雑誌の数々を並べて壮観。手にとって見ることはできないけれど、実物の表紙やページとともに、目次のコピーもレイアウトしてあるのはありがたい。


雑誌は、その実際の大きさの大小にかかわらず、一つ一つが小さな宇宙と言いたくなるようなところがある。インターネットの「相互接続」という発想から生じる、どちらかというとアモルファス(無形)で無際限(もちろん全体としては有限だが延々とリンクをたぐる読者にとっては無際限)な状態に日々接しているためか、かえって雑誌のもつ有限性や全体性が際立って見えたようにも思う。


つまり、雑誌にはモノとしての限りがあり、束ねる以上は紙葉の排列に順序があり、1ページめから読み始めて、読み進めると、最後のページにたどりついて、雑誌はそこで終る。逆さに振ろうがなにをしようが、この限られた紙幅のなかにあることがとりあえずのすべてだ。


今回、本展覧会で主役的な座におかれた第日本雄弁会講談社の雑誌『キング』(大正14年=1925)を見て、個人的に(いまさらながら)驚かされたことがあった。『キング』創刊を知らせる店頭用ポスターを見ると、お父さんが手にする『キング』を、子どもたちとお母さんが一緒に見ている。そう、この雑誌は「誰が読んでも面白い雑誌!」として構想されていたのだった。


という話は、もちろん同誌を読んでいた人には当たり前のことだろうし、雑誌研究者にとっても先刻承知のことなのだと思う。しかしやはりこれはなんだかすこぶる非常におもしろい。家族全員が読んで楽しめるように、この雑誌にはお父さん向け、お母さん向け、子ども向けのページが混在しているのだろう(といっても、どれが誰向けなのかはにわかにわからなかったのだが)。当然のことながら、誌面のうえで誰向けのページであろうと、誰の目にも入りうる。子ども向けのページをお父さんが読むこともあるだろうし、女性向けのページを男性が読むこともあるだろう。


趣味と性別と年齢層で細分化がとことん推し進められた昨今の雑誌とはまったく発想がちがって、あちこちで思ってもみなかったような読者とページの遭遇が生じたのではなかろうか。思ってもみなかったものと出遭えないかしらと思って、自分がターゲット読者ではなさそうな雑誌をのぞいたりする私としては、『キング』のようなごたまぜ雑誌がもう一度姿を現さないかしらと夢想したりもした。


いま、誰もが楽しめる雑誌を構想するとしたら、それはどんな目次になるだろう。それともそのようなものは到底無理であろうか。自分の関心にかかるトピックで手にとった雑誌のなかで、ぜんぜんこれまで知らなかった領域に誘い込まれるという楽しさを、有限の誌面でかたちにできたら、それはなんだか楽しいことのように思う。でもこのご時世、企画会議をやったら「そんな中途半端な雑誌、誰が読むものか」と一蹴されそう(笑)。


とはいえ、ネットにはどうしたって真似のできない、モノとして有限(したがってその気になれば読み切れる)というこの特徴、まだまだ捨てたものではないとも思うのである。


それはそうと充実した展覧会であった。宮武外骨が発行した『滑稽新聞』も何冊か展示されており、表紙の余白に踊る「威武に屈せず富貴に淫せずユスリもやらずハッタリもせず」「本誌は悪官吏悪新聞屋等敵とし正義忠良の国民を味方とす」などという文字を実見できたのもうれしい収穫の一つ。書籍や雑誌の展示は、ページを繰らせてもらえないジレンマがつきものだが、これだけ多数の雑誌、一つずつ読んでいたのでは、何日あっても足りない。これでいいのだ。2008年12月7日まで開催。


今回の展示に先立って行われた『百学連環――百科事典と博物図譜の饗宴』『デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック』と、目録もたいへん充実していたので今回も期待していたのだけれど、これらのカタログに比べると解説や論考は大幅にヴォリューム・ダウンしており、せっかくの好材料であるのにいささか残念であった。とはいえ、展示物の図版はしっかり採録されている。


印刷博物館
 http://www.printing-museum.org/