誰がゲームで遊ぶのか



ゲーム会社で、商業用ゲームの企画を立てる際、もっとも悩ましいことの一つは、そのゲームが誰に売れるかという問題だ。


私が所属していたコーエーでは、ゲームの企画書に「ターゲットユーザー(想定消費者)」の項目を設けて、年齢層やどんなゲームを好む人に向けてそのゲームを開発するつもりであるかということを、企画者が考えて記していた。


潜在的には、そのゲームが発売になった暁に、当該ハードウェア(例えば、NintendoDS)を所有しているユーザー数が上限である。といっても、もちろん全員が買ってくれるわけはないので、そのうちの何人くらいが買うだろうかという話になる(さらに考えれば、そのゲームで遊びたくて、ハードを新たに購入する人もいるかもしれない)。



自分が考えたゲームが、どんなユーザーの気持ちを掴みそうかということを、一応あれこれの統計やデータなどを見ながら考えてはみる。また、シリーズものであれば、前作の売り上げ本数や、アンケートはがきの結果を分析したりもする。フィリップ・コトラーなんかのマーケティングの教科書を使って、勉強会も催されていた(新人社員だったころ、先輩から「これを読んで内容を要約して教えてくれないかな」と言われて900ページほどの同書を読んだことがあるのを思い出した)。


しかし、言ってしまえばそれだけのことで、それ以上ではなかった。


要するに、よく分からないのである。よく分からないなりに、「こうではないか」と書いて、そのことについて、会議で検討がなされる。けれども、その想定が妥当か否かということは、誰にも分からない。ただ、その仮定をめぐってさまざまな臆見が飛び交い、結局はゲームの内容の是非を中心に判断がなされていた(これはあくまで、私が在籍していた1994年から2004年までの話なので、その後どう進展しているかは存じ上げない)。


それもそのはず。だって、自分でさえ、今からゲーム・ショップに赴いてゲームを何本か買おうと思っていても、実際に店頭でパッケージやデモを見るまでは、どれを買うのか分からない。「あのゲームを買いに行こう」と思っていても、いざお店で別のものに惹かれてしまうだなんてことは、日常茶飯事である。他人様がなにを欲するかだなんて、なおのこと分からないじゃあーりませんか。


と言ってみてもはじまらないのもたしかなことだ。やはりバカにならない投資をして開発する以上は、その商品を買ってくれそうなお客さんのイメージとヴォリュームを想定しておきたい。というわけで、商品開発とマーケティングに苦慮する立場の人々は、それでも予想を立てるためにがんばるわけである。


さて、本書は、商売としてヴィデオゲームを開発するにあたって、どんなユーザーに向けて、どんなユーザーを想定してこしらえるのかということを考える手がかりを書いた本だ。内容は、大きく二部に分かれている。前半では、ゲームのユーザー層を分析するいくつかの手法を紹介しており、後半では、ゲーム・デザインに関する解説がなされている。


前半では、商品としてのゲームの消費者には、どのような人たちがいると考えられるか、ということを分類・分析している。日常的にゲームを買ったり遊んだりして、ゲームにどっぷりはまっているハードコアゲーマーから、それほど熱心というわけではないけれど、ゲームをしないわけではないというカジュアルゲーマーまで、何通りかの分類が提示されている。つまり、それぞれのゲーマーの嗜好と人口を想定できれば、そこへ向けたゲーム・デザインをする一助となるだろうという次第。


マイヤー・ブリッグス型指標(MBTI)という心理学的な性格分類を、ゲームのユーザーに適用してみると、なにが見えてくるかという議論が、前半の鍵となっている。その是非はともかくとして、著者たちも書いているように「プレイヤーがそれぞれ違うという事実を、ゲームデザイナーが理解できるようにしてくれる」(同書、56-57ページ)ということが、その効用であろう。


本書の議論は、そう分析することが妥当だというよりは、そこに提示されているものの見方を勘案してみることで、これまでぼんやりのっぺりとしていた、ゲーム・ユーザーの集団が、大まかにであれ、もう少し細かく区別してイメージできる(本当にそう分類できるのかどうかは別として)という効果を持ったものだと思う。


ゲームのデザインを論じた後半では、前半のユーザー分類を受けて、「これこれのタイプのゲームは、これこれのタイプのユーザーに受け入れられる」といった形で記されている。ここに示唆されていることは、ゲームのユーザー像をまったく抱かずにゲームを開発するよりも、ゲームの細部を決定してゆく際の一つの参考になるかもしれない。


要するに、本書は、ゲーム・ユーザーについて仮説を持って開発に臨もうではないかという主張をするものだ。


このことは、もちろん大変重要なことである。ゲーム開発の経験から言うと、さらに肝要なことは、ゲーム開発にあたって自分たちが立てた仮説の妥当性を検証することにこそある。しかし、私が見てきた事例では、多くの場合、仮説はあれど検証はなされていない。というのも、ゲームの開発が終わると、もう次の商品の開発が待っており、前回こしらえたゲームについては、「で、何本売れたの?」という話に始終しがちだからである。


本書は、いままであまり真剣に検討されてこなかった、ゲーム・ユーザーの内実について考え始めるきっかけとして、業界関係者に広く読まれてもよい一冊だと思う。



なお、原題は21st Century Game Designだが、オライリー・ジャパンから既刊の『「おもしろい」のゲームデザイン――楽しいゲームを作る理論』ISBN:4873112559)に合わせて『「ヒットする」のゲームデザインというヘンテコな書名になったのだと思われる。


日本語版には、松原健二、吉田直樹、吉岡直人の三氏による鼎談と、ゲーム研究で知られる井上明氏による「ゲーム市場の生態系とネットワーク構造の変化をどう捉えるか――Wii、DS、PSP以降の構造を考える」が併載されている。特に後者の論考は、本書(原書)が刊行された2006年以降の動向を踏まえて、本書の内容を検討に付しており、本書を読むうえでも参考になる。


目下、Rules of Playというゲーム研究書を翻訳している身としては、翻訳を考えるという観点からも益するところがあった。とりわけ、design、interactivity、playといった、通常カタカナに音写して済ませることが多い語をどうすべきか試行錯誤しながら訳しているのだけれど、本書はその点で実にあっけらかんとしている。例えば、こんなふうに。

ゲームデザインとはゲームのデザインの進化をコーディネートするプロセスである。

(同書、3ページ)

ファネリングによって、プレイヤーはハウスキーピングやプレイグラウンド活動の最中にヒントを与えられ、その気になればゲームの中心に戻ることができる。

(同書、225ページ)


善し悪しではなく、好みの問題だろうけれど、自分ならもう少しカタカナ利用を抑えたいという気持ちを、ついそそられるのであった。


オライリージャパン > 『「ヒットする」のゲームデザイン
 http://www.oreilly.co.jp/books/9784873114187/