読書論/デカルトの場合


古今東西の読書論や読書術について、目に入ったものを「読書論」というタグでメモしていこうと思います。



まずはデカルト先生の場合。『哲学原理(Principia Philosophiae)』(1644)で、自著をこんなふうに読んでもらえたら、という形で述べています。


なお、引用文は、読みやすくするために、私が勝手に改行を入れていますが、原文では無改行です。

私はこの書〔『哲学原理』〕の読み方についても、一言、意見をつけ加えておきたかったのです。


すなわち、まず小説を読むように全体を通読していただきたい。あまり無理に注意を向けず、難しい箇所に出会っても気にとめずに、ただ私が扱っている主題がどんなものであるかを、大体において知ってもらうだけでよいのです。


そのあとで、それが調べるに値すると思い、その原因を知ろうという好奇心が湧いたなら、二度目に読んで私の理由のつながりに注意していただければよいのです。


しかし、そのつながりの全体を十分に知ることができず、理由のすべてを理解しなくても、まだ投げ出してはなりません。難しいと思われる箇所にただペンで線を引いておき、中断せずに最後まで読み続ければよいのです。


そして三度目にこの書を手にとるなら、以前に印をつけた難しい箇所の大部分は解決されますし、それでもなおいくつかの問題が残っているなら、再読することでついには解決が見いだされるであろう、とあえて信じております。

デカルト『哲学原理』山田弘明+吉田健太郎+久保田進一+岩佐宣明訳、ちくま学芸文庫、2009/03、22-23頁)


つまり、最初にざっと全体を見通しておいてから、複読によって不明箇所を潰してゆくというやり方ですね。誠にシンプルですが、或る書物をそれなりに理解しようと思う場合の読書では、基本的な方法だと思います。


私も、線を引くとともに、不明箇所などには「?」、著者が何かを定義しているところには「def.」といった記号を余白に書き込んで、複読する際の手がかりにしています。