『コンピュータのひみつ』のひみつ その1



春から夏にかけて、『コンピュータのひみつ』朝日出版社、2010/9/10刊行予定)という書物の制作に取り組んでいました。何回かにわたって、この書物についてお話ししてみたいと思います。



書店にはすでに馬に食わせるほどコンピュータ書があるというのに、なぜまた新たに1冊こしらえたのか。もちろん、毎日のように書店に足を運んで、棚から棚を見て歩く身としては、コンピュータ書の棚の状況を知らないわけではありません。いえ、むしろ、コンピュータ書のよき読者の1人であるとさえ自任しています。


この四半世紀くらいの間、たくさんのコンピュータ書に目を通してきました。近頃では、東京ネットウエイブという専門学校で、ゲーム制作やコンピュータについて教える仕事をしていることもあり、学生たちに判りやすくコンピュータの大事なポイントを教えてくれる本を、積極的に探してもいます。


そうした中で、気付いたことがありました。コンピュータという、どこかとらえどころのない、鵺のような道具を捉えるには、「ものの見方」が何よりも肝心だ、ということです。この装置、この機械を、どのようなものとして見るのか、ということです。


ところで、世間にあるコンピュータ書のほとんどは、もっぱら二つのことを書いてあります。


一つは、特定アプリケーション・ソフトの使い方を書いたもの。いわゆるマニュアル本ですね。あれこれのソフトを使いこなすための具体的な操作法やテクニックを教えてくれるもので、とても便利です。


それから、もう一つは、コンピュータの仕組みを解説したもの。装置の中身がどうなっているのか、なぜコンピュータは動くのか、なぜソフトは動くのか、といったことを、懇切丁寧に説明してくれる本で、これもまた大変ありがたいものです。


でも、どうもこの二つだけでは足りないようなのです。まったく偶然のなりゆきなのですが、私は、高校生の頃から、いろいろな状況で、コンピュータについて人に教えるということをしてきました。高校・大学生の時分は、特定の仕事に使うためのアプリケーションを作って、その使い方を現場の人に教えるというアルバイトを、コーエーに入社してからは新人研修などの機会に、それから先ほど述べた専門学校で教える、という具合です。


最初のうちは、上記した二種類のコンピュータ書と同じように、具体的な操作方法と、コンピュータの仕組みを教えていたのです。でも、教えているうちに、これだけでは何かが足りないと感じるようになりました。


たしかに、或る特定のソフトの使い方は、操作方法を具体的に覚えればよいわけです。また、コンピュータがCPUやメモリといった各種装置の集合体であるといった知識もそれはそれとして有益です。でも、このことだけでは、コンピュータというものがいったいぜんたい何なのか、という肝心のことは腑に落ちないままになることが多いのです。いま一旦、控えめに「多いのです」と言いましたが、実際にはほとんどの場合、腑に落ちていないだろうと思います。


それを確認するのは、とても簡単です。「コンピュータってなんですか?」、あるいは、「コンピュータという語を、自分なりに翻訳するとしたら、どういう言葉になりますか?」と問うてみるのです。


この問いになんと答えるか。そこには、答える人のコンピュータ理解が隠れようもなく明らかになります。これは、シンプルだけれど、けっこうこわい問いなのです。(つづく)


朝日出版社 > 『コンピュータのひみつ』
 http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255005447/


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