寝転びながら『千のプラトーを読む』 01



ドゥルーズガタリ千のプラトー――資本主義と分裂症』が、このたび河出文庫に3分冊で収められることになった。訳者は、宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明の6名。原書は1980年、翻訳書は1994年だから、刊行から30年、翻訳から16年を経た勘定である。私自身、この本とは短くないつきあいだけれど、未だに「読めた」という気がしない。


いや、誰かも言っていたように、本は読めないものだ。ある書物をどうしたら読み終えてしまうことなどできようか。もちろん、形の上では、最初のページから最後のページまで目を通すことはできる。しかし、それは果たして読み終えたことになるのか。つまり、もう二度とその本を読まずとも読み終えたということにしてしまえるということなのだろうか。そうとも言えない、と思う。


読み手も年々歳々さまざまな経験や読書を通じて、どんどん変化している。そのつど問題意識も違えば、着眼点も違う。だから、「同じ」本であろうとも、こちらが変化する分だけ、毎回「異なる」本として立ち現れるという次第。


もっとも、自分について言えば、千のプラトーの場合は、それだけではなく、単純素朴な意味で、読み取れていないことも少なくない。そこで、今回この文庫版を読む機会をつかまえて、ゆっくりこれを読み進めてみたいと思う。ゆっくりというのは、なにも速度だけの話ではない。一文ずつ、ちゃんと躓くという意味でもある。


分かったふりをせず、変なかっこうもつけず、不明な点で立ち止まる。「つまり、それってこういうことでしょ?」と小器用にまとめて、本当はよく分からなかった箇所について、見て見ぬふりをしない。むしろ、できるだけ地に足をつけながら、愚直に文章と向き合ってみようと思う。要すれば、わからなさを抱きしめながら読んでみる、ということである。


そんなわけで、これから書かれることは、解釈の「精確さ」のようなことよりは、読み手が文章に触発されて、こけつまろびつ何を考えたか、ということが中心になると思うので、余人にはあまり意味のないことになるかもしれない。


もっぱら文庫版の邦訳書を中心に、原書を脇に置きながら、必要に応じて他国語訳も参照しつつ、この書物を読み進めてみようと思う。以後、一連の文章の中で「本書」と言った場合、とくに断りのない限り、邦訳文庫版を指している。


なお、同様にして、いくつかの書物について、遅読の実践をこの場で試してみるつもりでいる。


さて、最初のプラトー(この書物では、章ではなく、「プラトー」と呼ばれる)は、「序――リゾームである。




ページをめくると、楽譜が目に入る。ただし、普通の楽譜ではない。シルヴァーノ・ブソッティ(Sylvano Bussotti, 1931- )による図形楽譜である。タイトルは「デヴィッド・チューダーのための五つのピアノ作品」と見える。5段の五線譜に、曲線が踊り、よく見ると、五線譜の線自体も、あちこちで本来の位置から飛び出している。


このなんとも言えず愉快な楽譜を、じっくり眺めておきたいところだけれど、後で戻ってくることにして、いまは文章のほうへ向かうことにしよう。


序の第1段落は、次のように始まる。

われわれは『アンチ・オイディプス』を二人で書いた。二人それぞれが数人だったのだから、それだけでもう多数になっていた。
Nous avons écrit l'Anti-Œdipe à deux. Comme chacun de nous était plusieurs, ça faisait déjà beaucopu de monde.

(上巻、p.15/原書、p.9)


千のプラトーの著者、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、本書に先立って、『アンチ・オイディプス』を二人で著している。


一口に一冊の書物を二人で書くといっても、いろいろな取り組み方がある。一つは、二人の著者が、お互いに書いたものを、一冊の書物の中に配列するという方法。これは二人に限らず、数人の著者による共著でよくとられているスタイルでもある。それぞれの文章の書き手は署名と対応しているので(そこに偽りや虚構がない限りは)、誰がどの文章を書いたのかということがはっきりしている。


もう一つは、いま述べたやり方のヴァリエーションとも言えるけれど、対話や書簡のスタイル。先日ここでご紹介した茂木健一郎さんと斎藤環さんの往復書簡『脳と心――クオリアをめぐる脳科学者と精神科医の対話』双風舎、2010/08、ISBN:4902465175)はこの流儀。お互いがばらばらに書いたものを並べるスタイルよりは、相互のあいだにやりとりがあるのが先の書き方との違い。


それから、一つの文章を二人で書く方法。二人で一つの文章を書く方法は、これもまたいろいろとある。例として適切かどうかはさておき、自分の貧しい経験に照らして言うと、相棒の吉川浩満id:clinamen)と私が文章を共作する場合、大きく二つのやり方をとっている。いま、二人の書き手を、AとBという名前で呼ぶことにする。

方法1: Aが文章を書き、Bに渡す。今度はBがその文章に加筆・削除を施し、それをAに渡す。Aがその文章に加筆・削除を施し、それをBに渡す。以下同様。


方法2: AとBで対話をしながら、その場で話しつつある内容に沿って、いずれかが文章を書き下す。書かれた文章をAとBで読み、検討し、いずれかが加筆・削除を施す。以下同様。


私たちが共著で書物を書く場合、方法1と方法2を併用することが多い。このやり方を実践してみて分かったことは、文章を書くことが、あたかも楽器演奏のジャムセッションのようになるということだ。一人で演奏するのとは違って、相手が出す音を聴きながら、「ほほう、それでは……」と自分の次の音を出す。二つの楽器の音が互いに影響を与え合い、結果的には、たぶん、どちらの書き手も一人では辿り着かなかったであろう場所へと運ばれてゆく。もちろん、両者が出す音が渾然一体となって聞こえてもくる。


では、ドゥルーズガタリはどう書いたのか。二人の「交差的評伝」を書いたフランソワ・ドス(ドッスとも)によると、最初の共著『アンチ・オイディプス』は、次のように書かれたらしい。


かれらの最初の本は、主に手紙のやりとりをとおしてつくられるところとなる。この著述の取り決めは、ガタリの日常生活を一変させ、彼は慣れない一人きりでの作業に没頭しなくてはならなくなる。ドゥルーズは、ガタリが起きたらすぐに仕事机に向かって、自分の考え(ガタリは一分間に三つも四つもアイディアが浮かぶ人間だった)を紙に書きつけ、それを読み直さないで、そのまま手を入れずに毎日送るように仕向けようとする。つまり、この苦行をガタリに強いることが、彼がものを書くときに感じる困難を乗り越えるのに不可欠だと判断したのである。ガタリはこの決まりをきっちり守り、書斎に引きこもって、くたくたになるまで仕事をする。
(中略)
 こうして、『アンチ・オイディプス』の記述は、大部分が、ガタリが書いた予備的テクストにドゥルーズが手を入れ、決定稿を仕上げていくというやり方で構成された。(中略)彼らの共同作業は、対話によるというよりもテクストの交換というかたちで行われたのである。

(フランソワ・ドス『ドゥルーズガタリ――交差的評伝』、杉村昌昭訳、河出書房新社、2009、pp.17-18/François Dosse, Gilles Deleuze det Félix Guattari: Biographie croisée, La Découverte, 2007, p.18)



これは、先ほど挙げた二つのやり方で言えば、方法1に該当する。ドスも注で触れているけれど、このときガタリが書いた文章を集めたのが、フェリックス・ガタリ著、ステファン・ナドー編集『アンチ・オイディプス草稿』國分功一郎+千葉雅也訳、みすず書房、2010、ISBN: 4622075148)として翻訳刊行されたStéphane Nadaud, Ecrits pour l'Anti-Œdipe (Lignes-Manifeste, 2004)であった。


そのようにして、彼らは『アンチ・オイディプス』を二人で書いたようである。


それにしても、千のプラトーの次の文章はどういう意味だろうか。「二人それぞれが数人だったのだから、それだけでもう多数になっていた」。


素直に、愚直に読むと、こんなところで躓く。「二人それぞれが数人だった(Comme chacun de nous était plusieurs)」とは、どんな事態なのか。そこはよく分からないとしても、もしこのことを受け入れたなら、後半の意味は分かる。著者の一人一人がそれぞれ数人だとすれば、その合計は二人ではなく、少なくとも四人以上だということになるのだから。


しかし、繰り返しになるけれど、一人が数人とはどういうことか。ここだけを読む限り分からない。「常識的」に考えれば、一人は一人だ。「二人がそれぞれ数人だった」という場合、「二人」とはあくまでも習慣的に私たちが人間を数えるときの言い方であり、「数人」のほうは、そうした習慣や常識に対して、別の考え方を提示しているのかもしれない。


この段落の先をちらりと見てみると、「われわれは(中略)多数化されたのである」という言葉も見える。ここではなにか、人間が一人でありながら、多数になってしまうような事態が述べられているようだ。こんな疑問を懐きながら、この最初の段落を読み進めていくことにしよう。


(つづく)