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コンピュータの「記憶」の脆弱さ


ちょっと挑発的な言い方になってしまうけれど、コンピュータの「記憶」に不安を抱いたことがない人は、あまりコンピュータを使い込んでいないか、よほど運がよいかのどちらかではないかと思う。


例えば、ゲーム会社の現場のように、何百台かのコンピュータが動き続けている場所に10年もいてみると、コンピュータの「記憶」を、あてにしてはならないことがイヤでも痛感される。そう、装置(ハードウェア)としてのコンピュータが、経年劣化やアクシデントによって壊れてしまう、ということは、人が思っているかもしれないよりも、高い頻度で生じるのだ。


かく申す私自身も、ここ四半世紀にわたってコンピュータを使うなかで、何度か、そうした難問に遭遇したことがある。例えば、友人・知人とのやりとりが収められた1万通ほどの電子メールが、ハードディスクの故障によって失われてしまったり、それまで5千冊ほどの蔵書のデータを蓄積してきたファイルが壊れて使い物にならなくなる、といったことだ。


簡単に言えば、データを保存している記憶装置が物理的に壊れてしまったのである。無論、できるところまでデータの復旧・救出作業を試みたけれど、とても全部は回収できなかった。


これはなかなか痛恨なことで、三度も味わうと、コンピュータの「記憶」に安心していることはできなくなる。自分にとって重要度が高いデータは、適度にバックアップをとり、ファイルを複数の場所に保存する。データを複製したCDやDVDも、かつて言われていたほどは長持ちしないようだ。


あるいは、ネット上に分散して保存されているから大丈夫だろうという、別の安心感を持っている人もいるだろう。しかし、よく利用していたウェブやデータが、ある日サーバーごとなくなっているなんてこともまた、しばしばあることだ。Googleやその他のサーヴィスが、キャッシュ(ある時点でのデータの複製)を保存しているといっても、これにも限度がある。


それだけではない。コンピュータ上のデータは、時間が経つと、フォーマットが古くなる、ということも考えられる。というか、実際にそういうことは起きている。私が25年くらい前に使っていたコンピュータでは、3.5インチのフロッピーディスク(そう、先だってニュースに登場して、久しぶりに目にすることになったあれ)にデータを保存していた。しかるにいま、このメディアからデータを読み出すためのフロッピーディスク・ドライヴを標準で備えているパソコンは、ほとんど見あたらない。


パーツショップでフロッピーディスク・ドライヴを買ってきたとしよう。しかし、もう一つの難関が待っている。当時、Windows以前のパソコン用のアプリケーションで作成したデータを、いったいどうしたら、現在のコンピュータで開いて、実行できるだろうか。ただのテキストデータであれば、まだ簡単なことだが、特殊なソフトで制作したデータとなると、だいぶ話は面倒になる(エミュレーションのような手立てはあるにせよ)。


もちろん、人間もバカじゃないから、いま普及しているデータのフォーマットを、ある日突然、「これからは新しいフォーマットに切り替えますので、これまでのものは使えなくなります」だなんて、資産を捨てるようなことはしないだろう(と、思いたい)。ただ、これまで、そういうことの積み重ねのうえに、現在のコンピュータ環境がつくられてきたのも事実なのだ。


だんだんお分かりになってきただろうか。コンピュータの「記憶」は、ハードウェアの故障というリスクと同時に、時代が経って環境が変化して利用できなくなる(利用しづらくなる)というリスクがある。冒頭申したように、こうした憂き目に遭っていない人からすれば、いささか心配しすぎじゃないかと思われるかもしれないが、そう思えばそのまま使ってみればよい。


電子データと紙を比べてみようという場合、コンピュータにおける「記憶」の性質について、こうしたことについても、改めて念頭に置き直す必要がある。もっとも、コンピュータとのつきあいが長いユーザーにとっては、ほとんど常識のようなことであるから、わざわざ表明するまでもないと思われるかもしれない。


前回も述べたように、私自身は、紙もコンピュータもともに使い倒しているユーザーであって、どちらかがよいとか、どちらが悪いといった変な贔屓はないつもりだ。ただ、コンピュータを使い込んでいった結果、その「記憶」について、上記のような問題が常に孕まれているということを、まずは述べておきたいと思ったのであった。


(つづく)