その1:形というよくわからないもの


 なにをいまさら、と言われるかもしれないけれど、私がよく分からないもののひとつに「形」がある。似た言葉としては、「形式」も同様。よく分からないので、自分ではおそるおそる使うことが多いのだけれど、どうも欧米の書物などを読んでいると、矢鱈とお目にかかる言葉の一つでもある。


 たとえば、今年のはじめに刊行した翻訳書、サティ+ジマーマンのルールズ・オブ・プレイ――ゲームデザインの基礎(上)』ソフトバンク クリエイティブ、2011、ISBN:4797334053)にもたくさんのformが現れる。同書は、アナログゲーム(コンピュータを使わない昔ながらのゲーム)かディジタルゲームかを問わず、ゲーム全般について、どうしたらより楽しく遊べるゲームをデザインできるかということを、考察した書物。このなかに、たくさんのformが出てくる。form、formalの他に、transform、deform、informなど、formの親戚がいろいろと顔を出す。一応「ゲームの形式」や「ゲームの形」と訳せば、意味は通じるのだが、それでは「ゲームの形式」とはなんだとなると、これはいささか厄介だ。


 プログラミングでは、しばしば「フォーム」という言葉を使う。例えば、「入力用フォーム」といえば、ユーザーに文字を入力してもらうために用意する仕組みちおうほどの意味で、そこには表示位置、フォントの大きさ、入力できる文字の上限、決定の方法といったさまざまな要素も関わっている。この場合、或るソフトウェアを使うユーザーの行いを、予め或る定められた枠のなかに限定するものが、フォームということで、これを「形式」と言えば、なるほどそうかという気がしなくもない。


 管見では、この言葉の欧文脈における来歴は、少なくとも古典ギリシアの哲学などにあらわれる、形相と質料と訳される、あの対語のような概念に遡る。プラトンアリストテレスを繙くと、イスについて考えてみろ。その材料となる木材が質料で、木材に或る形を与えてイスとなすものが形相だ、といった類の喩え話が出てくる。当世風に言えば、形式と内容という表現に通じる話でもある。


 形や形式といえば、それこそどんな領域でも材料がある。天体、生物(動植物)、無機物、地面、水面、雲、雨や雪、建築や乗り物やイスやテーブルとはじめとする各種人造物、書類、文字、儀式、組織……などなど。形や形式といえば、ほとんど何についてでも言えることだけに、かえってよく分からなくなるのではないかと思うほどだ。そこでもう少し具体的に対象を絞って考えてみたい。


 形や形式が重要な問題・関心事となる領域の一つに、芸術がある。なるほど、芸術家たちは、ある素材を使って、それになんらかの形を与える。それが作品、作物というものだ。文芸の方面でも、フォルマリズムなるismが唱導されたことをご記憶の方もあるだろう。ちなみに我が邦の誇る人文魔神・高山宏御大に『かたち三昧』羽鳥書店、2009)という愉悦と刺激に満ちた書物があるけれど、あの「かたち」はfigureとの由。




 芸術における「形」については、例えば、フランスの美術史家アンリ・フォシヨン(Henri Focillon, 1881-1943)にそのものズバリと言うべきか、『形の生命』(Vie des formes, suivi de Eloge de la main, 1934)という考察がある。邦訳は、杉本秀太郎訳(『形の生命』、岩波書店、1969; 改訳版、平凡社ライブラリー663、2009、ISBN:4582766633)と、阿部成樹訳(『かたちの生命』、ちくま学芸文庫フ23-1、2004、ISBN:448008875X)。ここで言われている「形」は、上記した原題にも見えるように、forme。その目次には、「空間」「素材」「頭脳(精神)」「時間」といった題目が並ぶ。要するに、フォシヨンが芸術について考える際に、「形」を見て取る対象という次第。


 よく分からないものについて考える際には、いろいろな意見を検討・比較・吟味してみるのが肝要だけれど、わけても有益なのは、対立する見解を見てみること。人文学でも自然科学でも、対立する意見の両者を見ることで、その火花に照らされて、問題の本質が見えてくるということがしばしばある。特に、批判的な立場の論者は、その対象について、なににひかっかりを覚えて、問題視しているのかという点に注目したい。



 おりしも芸術における形の問題を考えるうえで重要な文献が邦訳された。イヴ=アラン・ボワとロザリンド・E・クラウス『アンフォルム――無形なものの事典』(加治屋健司+近藤學+高桑和巳訳、月曜社、2011/01、ISBN:4901477781)である。同書は、著者の二人がポンピドゥー・センターで企画した「アンフォルム――使用の手引き」のために書いたカタログとのこと。同書には、仏語版と英語版があり、翻訳書は原著者たちが決定版と見なしている英語版を底本としていると、翻訳者あとがきに見える。邦題に見えるように、本書は事典の形をとっていて、28個の項目が立てられ、それぞれが論攷となっている。


 フランスの思想家ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille, 1897-1962)の「フォルム(forme)」に対する批判の言葉「アンフォルム(informe)」を導きの糸としながら、概念と芸術作品の多面的な織物を成している同書を、簡単に要約してもあまり稔りのあることではない。とはいえ、ひとまず乱暴を承知で言ってしまえば、従来(主に欧米の思想や美術や批評で言われてきた)形や形式というものに対して、違和感をぶつけ、そこからはみ出すもの、形や形式では応じきれないものに目を向け、思いを巡らせる試みである。ここで少し厄介なのは、彼ら(バタイユ、イヴ=アラン・ボワ、ロザリンド・E・クラウス)の言わんとすることを十全に理解するためには、その違和の的となっている「形」がどんなものであるかということを同時に弁えている必要がある、ということだ(そして、それこそが、私によく分からないものときている)。


 「形」や「形式」というものがよく分からない私としては、まずはこの二つの書物をじっくり検討してみることで、少しでも理解を深めることができればと思う。というわけで、これらの書物を読みながら発見したことや考えたことなどを、メモしていくことにしたい。必要に応じて、時代を遡ったり、他の書物にも寄り道をするつもり。もしうまくゆけば、話はその先で、芸術以外の形やパターン・ランゲージなどのような形のあり方にもつながってゆくと思う(とらぬタヌキのなんとやら)。


月曜社 > 『アンフォルム』
 http://getsuyosha.jp/kikan/formless.html
 『アンフォルム』は、月曜社の新シリーズ「芸術論叢書」初回配本とのことで、続刊にも大いに期待したい。