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映像文化論開講


 前年度に続いて、一橋大学にて、もう一度「映像文化論――異なるものをつなぐ術」を担当させていただくことになりました。


 一橋大学武村知子先生からお声かけいただいて、2009年から非常勤講師を務めさせていただいています。

 2009年冬学期「新たなる百学連環――学術篇」(大学院)
 2010年夏学期「新たなる百学連環――芸術篇」(大学院)
 2010年冬学期「映像文化論」(大学・大学院)


 人の縁とは本当に奇なものです。私を武村さんと引き合わせてくださったのは、編集者の郡淳一郎さんでした。その郡さんが『ユリイカ』誌(青土社)の編集長だった折りに、私と相棒の吉川浩満君を郡さんにご紹介くださったのは、栗原裕一郎さんでした。2005年のことで、同誌「ブログ作法、あるいはweblog戦記」特集の執筆者を探しておられたときのことと伺っています。


 そう考えてみると、あのとき栗原さんが私たちの名前を想起して、郡さんにお伝えくださらなかったら、いまこんなふうに大学で先生のようなことをする機会もなかったわけで、不思議な心持ちがします。しかも、私に至っては、いまに至るまで栗原さんとは直にお目にかかったことがないのでありました。人間、何がどこでどう転がるか、本当に分からないものであることだよ、と思います。そういえば、専門学校東京ネットウエイブで教えるようになったのも似たような経緯でした。


 そんな状況任せの人生で、「主体性が欠如しておる!」とお叱りを受けるかもしれませんが、近頃ではそういうものだと観念しております。


 と、私の事情などはどちらでもよいのですが、人生を(仮に)長い目で空想する場合、短期的な合理性だけ考えてもしょうがないことも多いよね、という事例として、新たにお目にかかる学生の皆さんに向けてお伝えしたいと思ったのでした。


 だから、一見なんのためになるのか分からないようなことも、いろいろやっておくと、物事の潜在性が豊かになると申しましょうか、将来なにかの機会が巡ってきた折に、それに応じることができる確率が高まるのだと思い定めて取り組むのがよいと思います。と言うよりも、何かが何かの役に立つということは、事後に判明することでしかない、というのがどうやらことの真相です。これは、あれほど熱心に経済合理性を事前に計画して確実にしようとする企業活動でさえ同様であることを、会社員として学んだことでもあります。


 さて、今回の「映像文化論」は、前回取り組んだ「映像をとことんよく見る」ということに、再度取り組みたいと思います。とはいえ、同じことを繰り返すのは性に合わないことですから、講義の構成と取り上げる材料はがらりと変える予定です。


 本日は初回の講義でした。大学全体の指針として、初回は90分の講義を半分に分けて、前半後半同じ内容のオリエンテーションを行うこととなっております。そのため、講義の概要と予定、講師の簡単な紹介をしました。参考文献などは、そのつどご紹介する予定です。


 その後、受講予定の学生から、先に参考文献を教えて欲しいとのリクエストをいただきましたので、近日、この場でリストを掲げます。どうぞよろしくお願いします。


一橋大学
 http://www.hit-u.ac.jp/


⇒作品メモランダム > 2011/04/11 うっかり役に立つ
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110411