ゲームの中核となる仕組みを見抜くために


 本日の「ゲーム企画」の講義では、ゲーム開発の流れについて、実際に開発を進める際の手順などについて述べました。いまやいくつもの細分化された担当者たちの分業によって作られることの多いゲーム開発では、誰と何を、どんな順序で作業するのか、という作業手順自体の設計と管理自体が重要な仕事です。


 また、それとの関連で、商業ゲームにおける予算や売上の計算についても説明したところです。この辺のことは、実際にお金をかけて進める仕事を経験してみないとぴんと来ないところかもしれませんが、まずは知識レヴェルでよいから頭に入れておこうという意図であります。


 次回以降は、既存のゲームを題材として、グループワークを交えながら、自分たちの手と頭で、ゲームを開発する手順を模索してみる予定です。そこまでできたら、次は、具体的なゲームをこしらえるために必要な考え方のほうに進んでゆきます。


 「ゲーム史」の講義では、先週の続きです。先週は、ゲームを理解・表現するためのトレーニングの一環として、『パックマン』について、言葉で手短に表してみるということを練習しました。これを受けて、今回は、或るゲームの中核となる仕組み(メカニズム)を見てとるために、そのゲームにおいて重要だと思う「動詞」は何か、という問いについて考えてもらったところです。


 ゲームには、さまざまなキャラクターや立場などが登場しますが、それらはいずれもなんらかの「行動(action)」を取るとみなすことができます。その行動を「動詞」として捉えてみるわけです。


 例えば、パックマンに登場するPC(プレイヤーが操作するキャラクター)について、学生の皆さんから出た動詞は、こんな感じです。

・食べる
・集める
・逃げる


 「集める」というのは、「食べる」という動詞の別の表現です。ドットを「食べる」というよりは、「集める」と感じた人がいたというわけです。


 では、この中で、『パックマン』にとって最も重要な動詞はどれか。こう考えてみるのです。


 すると、考えた人がいて「食べ集める」とか「食べ逃げる」と、動詞を合成したりします。気持ちは分かるし、単一の動詞を写そうとする動詞を使って、本来同時並行的に複数の動作が行われることが実態であることを考えると、そうした複雑さを考慮するのは、なかなかいい工夫ではあります。


 しかし、そう言い始めると、途端に、いくつもの動詞を並べればよいということになります。これは、あくまでも或るゲームの中核をなんだと見なすかという思考のトレーニングが目的ですから、そうした合成したい気持ちをぐっと堪えて、ここでは無理にどれかを選ぶことにしました。


 学生の皆さんの意見はばらばらに分かれます。


 そこで、さらにこう問うてみます。「『パックマン』からその動詞を取り除いてしまったら、『パックマン』じゃなくなるのはどの動詞だろうか?」と。例えば、「食べる」という動詞をあのゲームから取り除いたら、『パックマン』は成立しなくなるだろうか、というわけです。


 「「食べる」ことを取り除いてしまったら、ゲームは成立しなくなるし、ドットを食べ尽くすのがゲームの目的(クリア条件)だから、「食べる」は取り除けない」という意見が出ます。なるほど、たしかにそう考えられます。しかし、ゲームの目的(クリア条件)という点では、「食べる」は必須だろうか、とさらに問います。


 私の念頭にあったのは、『クラッシュローラー』(1981)です。



 これは、『パックマン』同様、迷路状の画面のなかで、プレイヤーは「刷毛」を操作して、その迷路を全て塗りつぶすというゲームです。『パックマン』では、迷路状の画面にドットが並べられていて、それを全て「食べる」ことがゲームのクリア条件でしたが、『クラッシュローラー』では、「食べる」代わりに「塗る」わけです。


 こう考えてみると、「食べる」ことが本質であるとは言い切れなさそうです。表現としては「食べる」わけですが、実際にやっているのは、「画面中の全ての道全体をなぞること」であることが、この比較から分かってきます。


 などなど、シンプルなゲームを具体的に観察しながら、ゲームの中核となる仕組みを見抜くためのトレーニングを重ねてゆくのでありました。


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