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その1 ゲームはモンダイの塊



ゲーム開発の現場から、ゲーム開発の教育の場へ移ってみて5年ほど経ったでしょうか。この間、ゲームづくりの仕事に就きたいと思う学生の皆さんとともに、ゲームをつくるために必要な技術や考え方について考えてきました。


それは、開発現場でつくることに集中しているときとは、また少し違った視線からゲームづくりを眺める経験でもあります。つまり、人(学生)がやっていることを見て、そのどこが拙いのか、どこが素晴らしいのかということを見抜いて言葉にするという作業です。


そういうやりとりのなかでゲームやゲームデザインについて考えたことを、この場でも少し述べてみようと思います。その一環として、まずは「ゲーム=モンダイ」という見立てから、ゲームについてあれこれ考えてみます。



ゲームを「解くべきモンダイ」であると考えてみると、なにが見えてくるか。特にゲームをつくる、ゲームをデザインする上で、なんらかの示唆が得られるのではないか。そんな下心もあって、ゲームにあらわれるさまざまなモンダイについて考えてみようと思います(2011年04月30日の文章 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110430/p1 もご参照ください)。


そのつもりでゲームを見てゆくと、一本のゲームに、いくつかのモンダイが仕込まれていることがあります。



広く遊ばれていて、よく知られているスーパーマリオブラザーズ任天堂、1985/09、ファミリーコンピュータ)を例にとってみましょう。


このゲームでプレイヤーに提示されるモンダイは、「悪者にさらわれたピーチ姫を助けろ」です。


しかし他方で、実際にプレイヤーがゲーム中でなすべきことはなにかといえば、「マップの右端まで行け」というモンダイです。ここでは、ピーチ姫はとりあえず関係ありません。とにかく、主人公のマリオ(あるいはルイージ)を操作して、障害物だらけのマップ上を、無事に右端までたどり着けばよいわけです。


さて、いま混乱を避けるために、この二つの目的に名前をつけて区別することにしましょう。「ピーチ姫を助けろ」というモンダイのほうを「演出のためのモンダイ」、「右端まで行け」というモンダイのほうを「遊びのためのモンダイ」と呼ぶことにします。


それぞれのモンダイについて、少し考察してみます。


■演出のためのモンダイ


いま、前者を「演出のためのモンダイ」と名づけたのは、「ピーチ姫がさらわれた(ので助けに行かねばならない)」というモンダイは、仮に別の内容になったとしても、ゲームの遊びそのものには影響を与えないからでした。


例えば、「弟のルイージが工事に行った先で、レンチが一本足りないことに気づいて『兄さん、レンチを持ってきてくれ』とお願いしてきた」というモンダイだっていいわけです(面白いかどうかは別として)。この場合も、プレイヤーがゲームでやることは変わりません。マップの右端を目指すわけです。


「演出のためのモンダイ」が影響を与えるのは、プレイヤーの気分でしょうか。「かわいい女の子が困っているのを助けに行け」と言われるのと、「弟(とはいえおっさん)が困っているのを助けに行け」と言われるのとで、やる気が違ってくるプレイヤーがいるかもしれません。


■遊びのためのモンダイ


他方で、「遊びのためのモンダイ」はどうか。「マップの一番右まで行け」というモンダイは、細かく見ると、いろいろな条件がついていることがわかります。


まず、いっそう正確に言い直しておきましょう。「マップの右端まで行け」というモンダイは、より正確にはこう表現できるでしょうか。

マリオというキャラクターを操作して、マリオをマップの右端にあるポールまで移動させよ。


これが、『スーパーマリオブラザーズ』というゲームで遊ぶプレイヤーに課せられたモンダイです。


そしてここにはいくつかの条件がついています。

A) マリオはコントローラーの各種ボタンで操作してね。
 ・左右移動ができるよ。
 ・ジャンプができるよ。
 ・ダッシュができるよ。
 ・アイテムを取ると他の行動もできるかもよ。


B) 失敗は三度までね。(うまくプレイして残りのマリオを増やせた場合は別よ)
 ・制限時間内でね。
 ・穴に落ちないでね。
 ・敵に当たらないでね。


といったところでしょうか。


こうした条件の下で、プレイヤーは「マップの右端まで行く」というモンダイを解決しなければならないわけです。


■モンダイは組み合わせられる


いろいろなゲームを同じような目で見てゆくと、それぞれのゲームは、こうしたモンダイの組み合わせでできていることがわかります。



例えば、スーパーマリオブラザーズに似たタイプのゲームでいえば、魔界村カプコン、1985)などはどうでしょう。このゲームの「演出のためのモンダイ」は、マリオと同じです。ゲーム冒頭で見せられるように、主人公と一緒にいる姫が悪魔にさらわれてゆきます。つまり、彼女を助け出せというモンダイが設定されるわけです。それにしても、「さらわれた姫(誰か)を助ける」という物語のパターンは、いつごろからどのようにつくられてきたのか、気になりますね。


また、「遊びのためのモンダイ」はどうでしょうか。『魔界村』の場合、マップは横方向だけでなく縦方向にも動きます(『スーパーマリブラザーズ』のその後の各種ヴァージョンでも同様に仕組みが導入されている場合があります)。マップの右端に到達すればクリアとなる場合もあれば、マップの最上端の右端に到達しなければならない場合もあります。そういう意味では、『スーパーマリオブラザーズ』とはちょっと違います。


でも、「マップ上の特定地点に到達せよ」と、抽象度を上げると、この二つのゲームは、ほとんど同じモンダイを提示していると考えることもできそうです。


■モンダイの分類学


私がかねてからゲームについて気になっていることのひとつが、この「ゲームが提供するモンダイ」の種類です。


これまで30年近く、コンピュータを使うものも使わないものも含めて、それなりの数のゲームを見てきましたが、ゲームに現れるモンダイの種類は、実はそれほど多くないような気がしているのです。


そこで、さまざまなゲームに現れるモンダイを、できるだけ広く見渡しながら集めて、これを分析・分類してみたらどうかと考えています。


どうしてそんなことをしてみるのか。ゲームをつくる、ゲームをデザインするという観点から、このことは大きな意味を持っていると思っているからなのです。そのことはおいおいお話しするとして、今回は以上に述べたようにモンダイ設定をしてみました。


モンダイについて考究することを、ここでは仮に「問題学(Problematology)」と呼んでおこうと思います。私は、ゲームだけでなく、人類が抱え込んできた各種のモンダイについても同様のことを考えてみたいと思っている者です。


雲をつかむような話かもしれませんが、人類の歴史上、人間がどんなことをモンダイだと感じて、その解決に取り組んできたかということを総覧してみることが、人間や人間と環境の関係について考える一つの大事な視座となるように思うのです。


ですから、小説や映画に描かれるモンダイ、あるいは各種の発明品や技術に現れるモンダイ、戦争や犯罪や政治経済など、人間同士のあいだに生じる出来事に見られるモンダイについても考察して参りたいと思います。一種の『問題百科事典』のようなものを編もうという心積もりです。このとき、ゲームとは人為的に設計されたモンダイの好例であり、ここには人間が取り組みたいと思えるようなモンダイの典型例が現れているだろうとも睨んでいるのでした。


⇒作品メモランダム > 2011年04月30日 > ゲームづくりの発想術
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110430


⇒作品メモランダム > 2011年04月26日 > ゲームの中核となる仕組みを見抜くために
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20110426