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話の作り方

book Edgar Allan Poe 詩作の哲学 1846



物語の筋(plot)について考えているうちに、そういえば、エドガー・アラン・ポオ(Edgar Allan Poe, 1809-1849)が、「詩作の哲学」で、プロットの話をしていたな、と思いだし、同文が収録されている『ポオ評論集』(八木敏雄編訳、岩波文庫赤306-5、2009/06、ISBN:4003230655)を書棚から抜き出してみる。


本を繰ると……あった、あった。「詩作の哲学(The Philosophy of Composition)」(1846)。


ディケンズの小説を枕にして、プロットをどうやってこしらえるかという話が展開されるエッセイ(試論)です。


ポオの意見は明解。

いやしくもプロットの名に値するプロットなら、執筆以前にその結末〔dénouement〕にいたるまで考え抜かれていなければならないことは言うまでもない。結末をつねに念頭に置いたうえで、個々の挿話、ことに全体の調子【トーン】を、意図の達成に有利に調整することによって初めて、プロットに不可欠な必然性、すなわち因果律を付与することができるのである。

(同書、159-160ページ、ただし強調部分は原文では傍点)


原文は、こんな具合。

Nothing is more clear than that ever plot, worth the name, must be elaborated to its dénouement before any thing be attempted with the pen. It is only with the dénouement constantly in view that we can give a plot its indispensable air of consequence, or causation, by making the incidents, and especially the tone at all points, tend to the development of the intention.

(The Philosophy of Composition, The Works of the Late Edgar Allan Poe II. Poems and Tales, Redfield, 1857, p. 259)


原題は、The Philosophy of Composition。Composition とは、ものを寄せ集めるということで、そこから文章なら「構成」や「組み立て」といった意味になるわけです。


ポオの主張は、要するに、話を組み立てるなら、結末まで考えておいて、それから書きなさいということです。到着する結末が決まっていれば、そこに至る道筋を、避け得ないかのように(indispensable air)、つまりそうなるのが必然であると感じられるように調整できる、という発想であります。ごもっとも。


そして、このエッセイの残りの部分では、実際にポオ自身が「鴉(The Raven)」を作った際、なにをどのような順序で考えていったかという、普通は滅多に見せてもらえないような作家の頭のなかの出来事を書いてみせています(実際に、どこまでその通りなのか、事後に整理された部分がないのかなど、考えればきりのないことではありますが)。


ポオの場合は、主に詩について述べています。とはいえ、このエッセイ自体が、ディケンズの小説の構成をめぐる議論から出発していることからも窺えるように、おそらくここで彼が述べている構成法は、詩だけではなく、小説のことも念頭にあったのでしょう。例えば、ミステリーを考える場合などは、最終的に解決されるべき事件が生じた場面を考えて、そこから手がかりを隠したり、拡散してゆけば、自ずと探偵が訪れたり発見しなければならないものを決めることができます(とは、シンプルな事件の場合ですが)。また別の機会に書こうと思いますが、いわゆる「脱出ゲーム」と呼ばれる謎解きゲーム(ある部屋に閉じ込められたという設定で、そこから脱出するために、部屋のなかにある各種道具を使いながら謎を解くコンピュータゲーム)なども、この発想でつくると、比較的容易にシナリオをつくることができます。


また、ポオが上で述べているのとは反対に、気をつけないとプロットが作り物っぽくなり過ぎて、興ざめになるという意見もあろうかと思います。ある場面から、他にもいろいろな展開の可能性があるだろうに、どういうわけだか主人公に都合のよい、あるいは作者に都合のよい状況が生じる(選び取られる)という、いわゆる「ご都合主義」などと言われるつくりがあります。


映像にしろ文章にしろ、受け手はどんなプロットに接したとき、「こうなるのも宜なるかな」と感じたり、「おいおい、作者がそうしたかっただけだろ」と感じたりするのか、これは興味ある問題です。


大塚英志さんが練り上げている物語作成法なども含めて、これまでにどんなプロット作成法が考案されてきたのかということが気になります。例えば、設定や最初の状況だけ決めておいて、あとはそこに投げ込まれた人物たちがどう出るかを追ってゆく、といった作り方もあるでしょう。また、映画シナリオの箱書きのように、ブロックを重ねてゆくようなやり方も工夫されています。


紙媒体だけでなく、コンピュータゲームも含めて、シナリオや物語、あるいはプロットということについて、考えてみたいと思っています(ゲームシナリオの講義や、目下構想中のゲームのアイディアのためにも)。