思った以上にRPG



★安田登『本当はこんなに面白いおくのほそ道――おくのほそ道はRPGだった!』(じっぴコンパクト新書176、実業之日本社、2014/01、ISBN:4408331090


読み始める前の予想をはるかに超えて、『おくのほそ道』はロールプレイングゲームRPG)だった。


ゲームに馴染みのない方のために少し説明すると、RPG(Role Playing Game)とは、ゲームを分類する言葉のひとつ。どんなゲームかといえば、創作された世界のなかで、遊び手が登場人物の1人となって活躍してゆくというものだ。現実の自分とは別のキャラクターの役(ロール)を演じる(プレイする)ので、ロールプレイングゲームという。もちろん「プレイ」には「遊び」という意味もある。要するに、一種のごっこ遊びだと思えばよい。


もとは人間同士で遊んでいたものを、後にパーソナルコンピュータが普及するようになってから、これをコンピュータ相手に1人でも遊べるようにとつくったのがコンピュータRPG。さらに後になってインターネットが普及すると、1人で遊んでいたコンピュータRPGも、ネットワークを介して再び複数で遊ぶようになっている。


とまあ、それはともかく、安田さんは中学高校などの古典でお馴染みの『おくのほそ道』をRPGとして読んでしまおうというのだ。



『おくのほそ道』とはどんな話だったか、ご記憶だろうか。ええっと、俳諧紀行文で、芭蕉というおじさんが、なにやら俳句を読みながら旅したんじゃなかったっけとか、古典の授業では文法解釈に手いっぱいで肝心の話を覚えていないな……という向きもあるかもしれない。


本書の冒頭を読んでみよう。安田さんは、この旅における芭蕉の目的(ゲームでいえばクリア条件)をずばり説明している。


『おくのほそ道』を辿る芭蕉(1644-1694)には、それこそゲームのように重要なミッションがあったというのだ。それはなにか。怨霊化しようとする源義経(1159-1189)の霊魂を慰めて、怨霊化を食い止めることである。おお、なんだかどえらい大仕事。しかもコワイ。まるで荒俣宏の『帝都物語』じゃありませんか(などと連想が働き始める私の脳裏では『源平討魔伝』のBGMが流れている)。というか、そんな面白そうな話だったっけ……


しかも、この旅に出る芭蕉は、先達である西行法師(1118-1190)に扮したという。芭蕉自身がロールプレイしているのか。でもどうして? そう、西行もまた崇徳院を鎮魂するために旅をした人だったのだ。


では、その芭蕉は、義経を鎮魂するために、なにをどうしたのか。実はいくつかの準備が必要で、『おくのほそ道』の前半、平泉に至るまでの旅路はそのために費やされている。


と、ここまで紹介すれば、あとはもう本書を読んでいただくばかりなのだが、もう一つだけ本書の特徴について述べておきたいことがある。


安田さん曰く、『おくのほそ道』RPGの攻略本は「能」だった。あの古典芸能の「能」である。能のなかで旅人が、知らず識らずに異界に足を踏み入れ、幽霊と出会うように、芭蕉もまた旅の要所要所で、能的異界に出入りしながら旅を進めていった。その様子が、本書ではRPGを進めてゆくなかで条件が揃うと生じるイベントのように展開してゆく。いや、そもそも『おくのほそ道』自体も、能を知っている前提で書かれているのだという。



これについては、安田さんはうってつけの案内者だ。というのも、ご自身が能楽師で、能を知るばかりか、自ら演じている人でもあるから。本書で、能を解説しながら、安田さんは、それが「見えないものを見るためのトレーニングになる芸能」だったのではないか(だから江戸時代、幕府は庶民に禁じたのではないか)と述べている。道具をほとんど使わない空間で、「極限まで抑えた演劇」によって行われる舞台を楽しむには、観客もまた、そこに存在しないもの、しかし能楽師が演じることで生み出されるものを「見る」ことが求められる。


そうした状況を反映するように、本書では『おくのほそ道』の記述、つまり江戸時代の東北を行く芭蕉たちの様子に、義経たちの事蹟(過去の痕跡、記憶)や、さまざまな能の物語といった、「見えないもの」が重ね合わせられてゆく。そんなふうに歴史に歴史が重なり、そこに物語が交わってゆく様に立ち合うと、私たちが生きるこの現在もまた、目の前に存在しているように感じられる事物のみならず、いま目の前には感知できない過去や想像が絡み合って在るのだ、という眩暈のような感覚に襲われる。これはどこかで、私たちがいつまで経っても、物語を好み、かりそめにいま・ここではない想像の世界へ趣き、また帰ってくるの倦まずを繰り返し続けていることにも関係しているのではあるまいか。



人間同士で遊ぶRPGをやってみると分かるのだが、この遊びもまた、複数の人間がもっぱら会話や身振りだけを使って、いま・ここではない、どこかよそ、まさに異界としかいいようのない場所を想像のうえで生みだし、それを見て楽しむことが中心となっている。なにしろ遊ぶ場所からして、誰かの部屋だったり、空いている教室だったりと、特にそのために雰囲気を出す飾り付けをするでもない、なんの変哲もない空間である。それでも遊び手たちは、このゲームに興じるあいだ、例えば、『指輪物語』の中つ国のようなファンタジー世界、ルネサンス期のフィレンツェのような場所、ヴィクトリア朝のロンドン、大正時代の帝都を生きるのである。そうした想像によって出現する世界のなかで、ある人物として振る舞うということは、どこか安田さんが解説する能と重なる営みでもあるように思う。


話が逸れたが、本書は言ってみれば、ロールプレイのプロフェッショナルが、西行のロールプレイをしながら使命を帯びた旅をする芭蕉の足跡を、ロールプレイングゲームとして読み解いてみせる本なのである。もう少しこの譬えに乗って言えば、そうしたRPGの様子を物語として仕立てた「リプレイ小説」のようなものだと言ってもよい。


紋切り型で恐縮だが、それでもやはりこう言いたい。中学高校の古典で、『おくのほそ道』をこんなふうに解説してくださる先生がいたら、試験対策とは別に、古典の面白さに目覚める生徒が続出するに違いない。それに中高生でなくとも、この本を読み終えたら、きっとすぐにでも『おくのほそ道』を読んでみたくなるだろう。そのような意味で、本書はまこと『おくのほそ道』のなによりの攻略本であり、その面白さを活性化させてくれる名ガイドブックである。


コーエーでゲームをつくっていた頃、『源氏物語』をゲームにしようと企画しかけたことがあった。古典の面白さをゲームという形式でプレイヤーが体験できるようにしてはどうかと考えてのこと。いまでこそアクションゲームの「無双」を中心タイトルとしているコーエーだが、かつては歴史や古典に取材した数々のゲームを送りだしていた。そうしたゲームに触れて育ったゲーマーのなかには、『信長の野望』から日本史(戦国時代)への関心を育んだり、『三國志』で遊んで原作を読むようになったという人も少なくない。ゲームにはそういう側面もあったのだ。


本書を読んで、安田さんの見立てをもとに、『おくのほそ道』をゲームにしてしまったらどうかと思う。いや、ほんとに。


■目次

序章 RPGとして読むおくのほそ道
パラレル・ワールド移行スイッチを探せ!攻略本は「能」!


第1章 死出の旅――ファーストステージ 深川〜日光
壮大なミッションに向けて、過去の自分を捨てる旅


第2章 中有の旅――セカンドステージ 日光〜白河
死と生の狭間で生活エネルギーを回復する旅


第3章 再生の旅――サードステージ 白河〜飯塚
鎮魂者へと生まれ変わっていく旅


第4章 鎮魂の旅PART1――ファイナルステージ(1) 飯塚〜末の松山
与えられたミッションを遂行していく旅・前編


第5章 鎮魂の旅PART2――ファイナルステージ(2) 塩竈神社〜平泉
与えられたミッションを遂行していく旅・後編


あとがき
参考文献


■書誌


書名:本当はこんなに面白い「おくのほそ道」――おくのほそ道はRPGだった!
叢書:じっぴコンパクト新書176
著者:安田登
発行:2014/01/24
版元:実業之日本社
定価:762円+税
頁数:205


■関連文献


★安田登『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(春秋社、2012/01、ISBN:4393436407
★安田登『異界を旅する能――ワキという存在』ちくま文庫、2011/06、ISBN:448042833X
『おくのほそ道――現代語訳/曾良随行日記付き』(潁原退蔵+尾形仂訳注、角川ソフィア文庫、2003/03、ISBN:4044010048
『おくのほそ道――付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄』(萩原恭男校注、岩波文庫、1979/01、ISBN:4003020626
『英文収録 おくのほそ道』ドナルド・キーン訳、講談社学術文庫、2007/04、ISBN:4061598147
★麻野一哉+米光一成飯田和敏『ベストセラー本ゲーム化会議』原書房、2002/10、ISBN:4562035560


■関連リンク


実業之日本社 > 『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』
 http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-33109-6


⇒和と輪
 http://www.watowa.net/


twitter > 安田登
 https://twitter.com/eutonie