★デイヴィッド・ベロス『ジョルジュ・ペレック伝――言葉に明け暮れた生涯』(酒詰治男訳、水声社、2014/03、ISBN:4801000266)
David Bellos, Georges Perec: A Life in Words (Harvill Press, 1993)
ジョルジュ・ペレック Georges Perec は一九三六年三月七日にパリに生まれたが、それはドイツ軍の首都侵攻の四年三ヵ月前のことだった。名はフランス語のものだが、姓の方はフランス語でなら perrek と綴られる。フランス語圏の者ならだれもが知っているように、Perec というのは、書かれても、発音されても、ブルターニュに由来するベレック Bellec、ペロス=ギレック Perros-Guirec のような姓に匹敵するもののように思われる。だから Perec という姓を見聞きする者は、それを名乗る者がフランスのケルト系民族の出自だろうと推測する。だが実際には、作家の先祖にブルターニュ人は一人もいない。彼はポーランドからのユダヤ系移民の息子でフランス人だったのであり、ポーランド語で綴られたヘブライ語で呼ばれることになったのは数奇な運命によるもので、それはフランス語で発音されるとき、ブルターニュ人のように響く。
(同書「1 名前」、p.23)
こんな具合に幕開けから早くも言葉遊びのような、名前を巡る考察が始まって、「なんなのだ、これは」と半ば(いい意味で)呆れつつ、目を離すことができなくなってページを繰ると、ペレックの父方の祖父で、ポーランド(当時ロシア領)に住んでいたダヴィッド・ペレッツの名前に話が及び、それが旧約聖書のヘブライ語に起源を持つ名前であると説明がなされ、このヘブライ語の言葉が、ギリシア語、ロシア語、ポーランド語、ドイツ語、スペイン語、英語といった各言語ではどのように綴られるかが並べられる。そうかと思えばページの上では、ダヴィッド・ペレッツやその子どもたちがポーランドを後にするのだが、特にペレックの父であるイツェク・ペレッツは、フランスに移り住んで入隊したフランスの外人部隊で、その姓の読み方が「修正」されてイゼック・ペレック Isek Perek となり……と、まだ肝心のジョルジュ・ペレックご本人が登場する前から、なにやら「言葉に明け暮れた」人物の評伝に相応しい言語の入り乱れる世界が垣間見えてくる。
この「名前」と題された、邦訳書(2段組)で5ページほどの章を読み終える頃には、「ああ、この書き手なら、きっとペレックの生涯や作品の見所を存分に教えてくれるに違いない」という頼もしい気持ちが胸中にわき始め、同時に「こんな本を見事に訳しきった酒詰さんは、いったいこの仕事にどれだけの労力を払ったのだろうか!」という想像が働きもする。そういえば、本文の前に置かれていた「読者への案内」で、ベロス氏はこう書いていた。
より高次の教育との形式的な接触を持たず、学位を得ることがけっしてなかったものの、ジョルジュ・ペレックは驚くべき広範な教養を身につけていた。彼の生涯と作品を紹介しながら、わたしはペレックの心の地図を描き出したのだが、それは必然的にわたし自身の教養の限界、わたしにおける盲点に繋がる暗黒大陸によって翳らされることとなった。
(同書、p.18)
この謙虚さ。「教養の限界」などと言ったら、読み手のわたし自身の「教養の限界」は、この書物から読み取れることをさらに大きく制限してしまうに違いない。つまり、ここには……
ペレック(対象)×ベロス(記述)×酒詰(翻訳)×読者(読解)
と、少なくとも四つの要素が絡み合っており、よく言えば、ペレックという対象を前に、記述、翻訳、読解それぞれの「教養の限界」(などと申せばなんだか失礼なようでもあるけれど、他意なく個々人にある限界のことをここでは指している)を組み合わせて立ち向かうような、そんな次第が否応なく意識されてくる。
などと、邦訳書にして二段組みで800ページに迫ろうという物塊を前にして、つい理屈っぽいことを述べてしまったが、改めて簡単に言うなら、ペレックが書いたいずれかのものに面白みを感じた読者であれば、この評伝はまさしく楽しいおもちゃ箱のようなものとして読めるに違いないと思うわけです。その次第は、以下に記した詳細目次からも窺えるでありましょう。
■目次
*ただし、同書では漢数字で記されている西暦を、ここでは横書きで見やすいようにアラビア数字で記しています。また、章立ての数字については、文字の位置を揃えたいという目的で、1桁の数字の前に0を付しています。
日本語版への序文
読者への案内
I 1936-1965年
01 名前
02 リバツフ、ルブリン、ウィーン
03 ペレックとペルシャ湾
04 ベルヴィルとパッシー
05 フランスの瓦解
06 ヴィシー=アウシュヴィッツ
07 ヴィラール=ド=ランス 1942-1945年
08 オテル・リュテシア 1945年
09 アソンプシオン通り 1945-1948年
10 エタンプ 1949-1952年
11 門戸開放 1948-1952年
付録 ブレヴィの書籍 ヒーザー・モーヒニーの研究に基づく
12 無想と決断 1952-1954年
13 ティルト
14 手綱つき 1955-1956年
15 落ち込み 1956年
16 音楽、絵画およびよき忠告 1956-1957年
17 実生活 1957年
18 サラエヴォ事件 1957年
19 パラシュート降下兵G・ペレック 1958年
20 一貫性とパウル・クレー 1959年
21 全線 1959-1960年
22 ガスパール・ヴァンクレールとは何者「だった」のか
23 キャトルファージュ通り 1960年
24 スファックス 1960年10月-1961年6月
25 研究室のペレック 1961-1978年
26 「パルティザン」誌 1962年
27 大冒険 1963年
28 『物の時代』 1964年
付録 『物の時代』「足取り」
29 初めての賞 1965年
II 1965-1975年
30 ノーネクタイで 1965-1966年
31 スファックスへの回帰 1966年
32 天国 1966年
33 バック通り 1966年
34 ザール河畔のウリポ〔ウリポ・アン・デア・ザール〕 1966年
35 ペレックのファッション 1966-1967年
36 セーヌ河畔のウリポ 1967年
37 全方位 1967年
38 ラジオ・ペレック 1967-1968年
付録 ラジオ・ペレック ドイツ語の演目
39 頓挫 1967-1968年
40 想像力の支配 1968年
41 幸せ 1968年
42 安全な場所 1968-1969年
43 後退 1969年
44 時間の制約 1969年
45 ぼくは思い出す 1970年
46 犬のようだ 1970-1972年4月
47 分散した1年 1971-1972年
48 アヴェニュ・ド・セギュール 1972年
49 シモン=クリュベリエ通り 1972年
50 ロケ 1973年
51 ウザルトュニロック 1973年
52 M/W 1974年
53 リンネ通り 1974-1975年
54 カトリーヌ 1975年
III 1975-1982年
55 作家業
付録 1976年の内容見本
56 見え隠れ
57 装置の検分
58 友人と交際
59 『人生 使用法』
60 軌道への発射
61 映画の仕事
62 ブランコに乗ったアクロバット芸人
63 詩人ペレック
付録 麗しき現存
64 オーストラリアでの53日
65 ロベール・セルヴァル殺し
66 「死ぬまでになすべきことども」
註
図版 出典一覧
ジョルジュ・ペレック作品一覧
ペレック作品の索引
人名索引
訳者あとがき
■書誌
著者:デイヴィッド・ベロス
書名:ジョルジュ・ペレック伝――言葉に明け暮れた生涯
訳者:酒詰治男
装幀:宗理淳一
発行:2014年03月10日
版元:水声社
定価:12000円+税